月別アーカイブ: 2011年8月

花鳥諷詠心得帖31 三、表現のいろいろ-7- 「 字余り(字足らず)」

さて長らくに亘って虚子の「字余り」句を眺めてきた。

『五百句』に限っての資料なので充分語り尽くせたとは思っていない。
しかも虚子の例句だけであってみれば、結局何も見ていないような仕儀となってしまった。
他日を期したい。

ところで「字余り」があるなら「字足らず」もあるはず。
よく初心の方と俳句会をしているとお目にかかる。
所謂「五七五」の調子が身に付かないうちは、それこそ指折り数えなければ、
時に「字足らず」の失敗をしてしまう。
ただし「字足らず」といっても読み方の工夫で「字足らず」にならずに鑑賞出来る場合もある。
たとえば典型的な例が「日短か」だ。

物指で背かくことも日短  虚子(『五百句』)
来るとはや帰り支度や日短   々  (々)
うせものをこだわり探す日短か 々(『六百句』)
探しもの見当らぬまゝ日短 々(『六百五十句』)
これらの下五をそのまま訓むと「ヒミジカ」と四音しかなく、確かに「字足らず」なのだが、
これらを「ヒッ、ミジカ」と訓めば何となく五音あるように聞こえる。
だから、これらの句は俳句の世界では昔から「字余り」には扱わないことにしているのだ。

さらに同じような例を古い友人の西村和子氏が指摘してくれた。即ち、
と言ひて鼻かむ僧の夜寒かな 虚子

この句も上五をそのまま訓めば「トイイテ」と四音にしかならないが「、トイイテ」と「ト」の前に
空の一拍を入れれば「字余り」のはならない。
これも馴れた読み手に巧みに訓まれたら、気づかぬ人も少なくないと思われる。

ところでこれらを「字足らず」とするかどうか若干躊躇いがのこる。
「日短」にせよ「と言ひて」にせよ、不味い読み手では確かに「字足らず」になってしまうが、
巧みな読み手にかかれば、五七五のリズムのなかに見事に溶け込んで違和感を感じさせない。
耳から聴く「詩」としてはそれで文句はないわけだ。

そこでもう一つ難問。同じ西村氏の指摘だが、
初雷や耳を蔽ふ文使 虚子
この句は『年代順虚子俳句全集』第一巻所収、明治三十二年三月の句。
さらに『喜寿艶』に再録されたので、多くの人の眼に触れているはずなのだが、
「字足らず」との指摘は寡聞にして耳にしなかった。
他に訓み方があるのかもしれない。
しかもこちらの例は前出の二例のように上手い読み手が努力しても、いかにもリズムが悪い。

こんな例はあるものの、「字足らず」は容認出来ないというのが、「字余り」の話の序での結論として置こうか。
「初雷」の句の訓み、御教示頂ければ幸甚。

【ご案内】第36回mixi句会9月3日(土)22時〆7句

【ご案内】第36回mixi句会9月3日(土)22時〆7句

オンラインでの句会のご案内です。稽古会も終り9月から通常の句会体制に戻ります。

その足馴らしとしてmixi句会など如何でしょうか。

詳細は下記URLへ。mixiを使っていないが興味のある方は杉原宛にメールorコメント欄で

ご一報下さい。要領をお伝えすると共に参加いただける様ご調整します。

http://mixi.jp/view_event.pl?id=64641098&comment_count=3&comm_id=2843365

 

 

投句当季雑詠7句 9月3日(土)22時〆

選句 7句(参加人数により変動) 4日(日)22時〆

 

 どうぞご気軽にご参加下さい。

 

                            〆

花鳥諷詠心得帖30 三、表現のいろいろ-6- 「字余り(二カ所以上の字余り)」

「字余り」の話、最後に残ったのは「二カ所以上」の「字余り」。
本来「五七五」の定型律から言えば、「字余り」は特例。
従って「上五」で「字余り」になってしまったら、他の「中七」「下五」ではきっちり定型を遵守すべきところ。
つまり「二カ所以上」の「字余り」は定型に対する態度として不見識の謗りを免れまい。
ところが虚子『五百句』にそれが十七例もある。

虚子の『五百句』が必ずしも昭和十年の段階での「ベスト五百句」というのでもないことは
虚子自身が書いていて、基準を変えれば、別の「五百句」も選び得るのだという。
と言うことは「二カ所字余り」の句なども、傷はありながら、捨てがたい何かを含んだ句と言うことであろう。

既に指摘した通り、この「二カ所字余り」は全て『五百句』中の前半二百句までのもの、
時代的には大正七年までの作品。
さらに言えばその殆どが、大正二年以降、同七年までの作品である。
これは時代的には凡そ「進むべき俳句の道」の執筆時期と重なっている。
そしてこのことは我々にある「暗示」を与える。
「進むべき俳句の道」の主張は一言で言えば「主観の涵養」。
勿論末尾に「客観写生」を忘れてはならないと釘を刺してはいるが、その客観写生も内部に鬱勃たる
「主観」が働いてこそ生き生きとしたものになる。

造化已に忙を極めたるに椄木かな  虚子
「椄木」は春の季題。春になって草は萌え、木々は芽吹き、虫は地中から這いだして、鳥は恋を囀る。
これらは勿論すべて「造化の神」の仕業。
一年中、さまざまに造化の営みはあるものの、この春先ほど目に見えて造化の働きの忙しいことは
ないだろう。
「造化已に忙を極めたるに」はそうした事情を述べたもの。そして季題の「椄木」は
春になって人間がさらに営む自然への働きかけ。
作者は眼前の「椄木」の景から「造化」の運行までを空想して、春の到来を全身で歓び迎えている。
まことに主観的な一句ではあるが、大正期の虚子はここまで言わなければ、気がすまなかったのであろう。

天の川のもとに天智天皇と虚子と 虚子
詞書に「筑前太宰府に至る。同夜都府楼址に佇む。懐古」とある。
この「懐古」は自らの生涯などという短いものでなく、日本の歴史を大きく見渡しての「懐古」であろう。
悠久の銀河のもと、大陸に近く細々と連なる列島の小国が何とか生き延びている事への感懐。
そんな主観的な想いを「天の川」に託して述べている。

「臣虚子」の句形があったり、『五百五十句』の序文で取り消したり、さまざまに話題の多い句ではあるが、
めずらしく主観へ大きく傾斜した句と言えよう。
「二カ所字余り」。
ある時期の虚子の句風を考えると少し納得の行く表現方法ではある。

稽古会・第零句集。

志賀高原石の湯ロッジにおける稽古会、かおるさん、薮さんによる現場中継で雰囲気が伝わって、読んでいるわれわれの旅情が掻き立てられました。ありがとうございました。

このような、句会・吟行会の雰囲気を現場から伝える仕組み(携帯電話からの写真・文章の投稿も可能)、是非活用していきたいものです。


さて、すっかり秋風となった中、帰宅してみると、夏潮の9月号とともに、 「第零句集」の記念すべき第一集、藤永貴之さんの「鍵」が届いていました。シンプルながら、なかなか素敵なデザイン。収められた百句を大事に読んでみたいと思います。貴之さん、まずは句集発行おめでとうございます。

花鳥諷詠心得帖29 三、表現のいろいろ-5- 字余り(下五)

さて次は「下五」が字余りになる例。

これは虚子『五百句』中、「上五」三十八例、「中七」十六例、に比べて断然少ない九例である。
時代的な偏りも特には認められない。

前回既にご紹介した
瓢箪の窓や人住まざるがごとし 虚子
の句は、所謂「渡り句」で、始めから五七五の感覚は薄い。
「窓や」の「や」の切れが強烈で、仮に「瓢箪の窓や人住まぬがごとし」と十七音節に押し込めても、
定型の持つ安定感が得られるわけでもない。

しかも「ざる」を「ぬ」としてしまうと「ざる」にあったクラシックな感じ、漢文訓読調の醸し出す時代めいた気分が
阻害されてしまう。
瓢箪の生り下がっている小窓は、あたかも隠者の住まいのような気分を運んでくれる。
例えば『奥の細道』の福井の条、「ここに等栽と云ふ古き隠士あり(中略)あやしき小家に
夕顔・糸瓜の生えかかりて」云々を思い起こす読者もあるだろうが、ともかく「ざる」の字余りの効果は
確かにあるのだ。

この漢文訓読調に通じる硬質感という点では、
夏の月皿の林檎の紅を失す 虚子
この句など「紅失す」でも「紅消ゆる」でも良さそうな気もするのだが、作者はどこまでも「硬く硬く
言いたいに違いないのだ。
詞書に「大正七年七月八日 虚子庵小集。
芥川我鬼、久米三汀等来り共に句作」とあるのを読めばその辺りの作者の「気の張り」は想像に難くない。
漱石門の若き俊秀を迎えて虚子の高揚した気分は漢文訓読調でなければ表現出来なかったのだろう。

蛇逃げて我を見し眼の草に残る 虚子
有名な句だ。
先ほどの「紅を失す」にも言えるのだが「下五」字余りの場合も「下五」の直前に軽いポーズ、
「間」があるように思われる。
この句でも、「眼の」と「残る」は主述の関係で、そこに「間」が挟まるような言葉の関係ではないのだが、
実際に声に出して朗読してみると、「我を見し眼の」で軽くポーズがあって、「どうなったの?」
「何処へいったの?」という疑問を一旦読者の脳裏に浮かび上がらせて、しかる後に「草に残る」
と結末を伝えているのだ。

このことは
秋の灯に照らし出す仏皆観世音 虚子
でも言えるのだが、この句の場合は「仏」を「ぶつ」と訓むか「ほとけ」と訓むかで分類は異なってくる。
しかしいずれの場合であっても「間」の存在することは同じで、「皆観世音」の直前には恰も堂内を
ゆっくり見回しているようなポーズが存在する。

朝寒の老を追ひぬく朝な朝な 虚子
蜥蜴以下啓蟄の虫くさぐさなり 虚子
についてもほぼ同様のことが言えそうだ。
さらにこの二句の場合は「下五」に入ってフェルマータがかかる。