2月23日の新年会で皆様のお手元にお渡ししたグリーンジャンボ宝くじ(第673回全国自治宝くじ)の当選番号が発表になっております。
皆様に幸がありますよう。
http://www.hpfree.com/rocky75/
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2月中旬から3月中旬にかけて、「汐まねき」への投稿に不具合がありました。
特に携帯電話などから投稿していただいた原稿がアップロードされない事象を確認できています。
もし、ご自分で投稿した筈だが、と言う方がいらっしゃいましたら管理者までお知らせください。
(HPの問合せフォームを利用ください)
ご不便をおかけします。申し訳ございません。
小諸の『俳句たんぼ』の初夏の日程も決定しました。
代掻き:5月24日(土) 午前10時から
田植え:5月31日(土) 午前10時から
特に、田植えの後は例年、小山家による「さなぶり」があり、そして午後は「句会」です。
ここ数年来、『夏潮』は『春潮』のおねーさま方に圧倒されて、全く歯が立ちません。…という、カナシイ現実もあります。
皆様、ぜひ初夏の小諸へ、おいでなして…。
※詳しくは、http://haikutanbo.blog.fc2.com
事前の予約は必要ありません。
by 矢沢六平
渡辺深雪
見たものを感じたままに素直に詠む、というのが俳句の大前提であれば、湯浅氏の句にはその模範とも言うべきものが多い。
小正月過ぎて工場ゆったりと 善兵衛
アジサイの群生雨を待ち焦がれ
年明けの何処かのんびりした情感と、降りそうで降らない梅雨時のすっきりしない感じが伝わって来る。
ありのままに見たものを詠むその姿勢は、景の大きく、かつ着想のユニークな句を作りだす。
どこからもグラジオラスに見つめられ 善兵衛
紅葉濃き多摩丘陵に抱かるる
花咲きほこる初夏の景と、紅葉に彩られた丘陵の姿が見えるのはもちろん、あたかも自分が「見つめられ」たり、「抱か」れたりしているように受け止めている所が面白い。
この写生に忠実たらんとする湯浅氏の姿勢は、特に旅先の景を描き出そうとする時に生きて来る。
煙突の古りし小倉の春浅し 善兵衛
沙羅の花木陰や仏陀の国に来し
この句集を何度も読み返し、句から現れる景を楽しもう。湯浅氏がいかにこれを見て描いたのか、理屈ではなく体で感じて解るはずだ。
初暦あちらこちらに貼り替えて 善兵衛
季題は「初暦」。知人や得意先からもらったカレンダーが、結構な数にのぼった。これは居間、これは便所という具合に、作者は家中を動きながら新しいものに貼り替えて行く。「あちらこちら」という言葉のリズムに、新しい年への胸の高鳴りが感じられる。
口数の少なき息子と試験待つ 善兵衛
試験のプレッシャーが重くのしかかっているのだろう。息子が日に日に無口になって行くのを、親である作者は見ている。それでも作者は何も言わず、息子をただ黙って見守っている。その姿は、一緒に重圧に耐え忍ぼうとしているかの如くに見える。
汽車進むほどに田植ゑも進みたる 善兵衛
「汽車」の走るのどかな田園地帯の情景。窓の景色を眺めていると、田植をしている人々の姿が見えた。やがて列車が進むにつれて、外に広がる水田が植えたばかりの苗でだんだん青く染まって行く。緑に染まる田園の風景が、風を切って走る汽車の姿と重なって、なんとも清々しい。
襖絵の脇涼風の過ぎてゆく 善兵衛
「襖絵」の置かれている情景からして涼しげだ。部屋中に陰の下りた、大きな座敷の中にいるらしい。開いた障子から入る風が、襖絵の側を吹き抜けて行く。これを見て、いかにも日本の家らしい風情があるな、と作者は感じた。襖絵という舞台装置が、涼風の姿をありありと見せている。
新羅より移住の里の曼珠沙華 善兵衛
新羅は十世紀まで朝鮮半島に実在した国家である。そこから渡って来た人々が移り住んだとされる土地に、紅い曼珠沙華の花が咲いていた。ここに来た渡来人たちも、この花を見ていたのだろうか、とふと作者は思った。伝承の地に咲く曼珠沙華の紅い花が、過ぎし時代への想像力をかきたてる。
まだ古き教室もあり柿もあり 善兵衛
久しぶりに、作者は母校を訪れた。まだ建て替えられていない校舎の中は、なにもかもが昔のままだった。古い校舎の側にたつ柿の木も、昔と変わらず大きな実をつけている。
少年の頃をなつかしむ作者の思いが、秋の静かな学び舎の景を通じて伝わって来る。
連結の音の響いて冬立ちぬ 善兵衛
大きな駅では、車両と車両を連結する時のカチャ―ンという音を耳にする人は多いだろう。駅のホームに立ちながら、作者もこの音を聞いた。が、その音はいつもに比べてやけに大きく響くような気がした。その音の響きに、これから冬が始まるのだなと作者は感じた。車両をつなぐ金属音が、初冬のもの淋しさをより強く印象付けている。
「夏潮 第零句集シリーズ 第2巻 Vol.10」 湯浅善兵衛『枇杷の花』~誠実に~
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「夏潮第零句集シリーズ」の第2巻第10号は、湯浅善兵衛さんの『枇杷の花』。
湯浅善兵衛さんは昭和三十八年生まれ。慶応義塾志木高校で本井英氏の国語の授業を受講、そのまま俳句の道に誘われそれ以来本井英に師事。慶應義塾大学俳句研究会に入会、以後「惜春」を経て「夏潮」に参加。今年の5月まで長年に渡り慶応義塾志木高校のOBで構成される「枇杷の会」の幹事を務められてきた。その朴訥で誠実な御姿は皆に知られるところである。
湯浅さんは全く上手に詠もうとされていない。自らの心に映った季題をそのまま全うに詠み下している。幾つかの句は説明的であったり、推敲が若干不足していると感じる句(中八の頻出など)もあるが、それはそれで善兵衛さんが感じたリズムのまま句にされている証左であろう。そのような中にもしっかりと嬉しい景色を読者に想像させ楽しませてくれる句があるのも、花鳥諷詠の写生の道をご一緒させて頂くものとして嬉しい。
団体もぽつりぽつりの島の春 善兵衛
→季題は「島の春」。この「春」は「明の春」「老の春」とは違う、2月3日の立春以降の「春」を差すわけだが、この句の場合はどことなく旧正月の雰囲気の「春」の使い方。やはり旧正月の頃の様子ではないか、私には宮古島の様子が浮んできた。温かくなってきた春、それでも観光シーズンとしては外れている季節の島に幾つかの団体が来ていた。目的は分らないが人の少ない島の路地に固まった人数がいると目立つ。それでも、うるさいほどではない。
2月の宮古島と云えばオリックス・バッファローズのキャンプなどあるが、さすがにそれでは「ぽつりぽつり」ではないか。
山葵田の梯子を登り覗き見る 善兵衛
→季題は「山葵田」。山葵田は棚田や段々畑のように段を利用し水を流していく。そこに梯子がかかっておりご本人はこわごわと上ってみたのである。そしてそこから覗いてみた山葵田は緑と清流でキラキラとしていたのだろう。山葵田があるような谷の秘境感やひんやりとした空気まで描けていると思う。
枇杷の花遠くから見し寄りて見し 善兵衛
→季題は「枇杷の花」。初冬の花の少ない頃、何ともはっきりしない色の花をつける。枇杷の花と知らないと見過ごしてしまう「俳人向き」の花である。この句は遠くから見た際に厚ぼったい緑の葉の上にちょぼちょぼとさくクリーム色の花を見つけた。何だろうと思い、暫くたち作者は「枇杷の花」と認識した。そしてさらに近くに寄りしげしげと見上げる。何となく嬉しい気持ちになる句。
この句には類句があるかもしれない。しかしそれはそれである。この句こそ善兵衛さんの俳句を体現する全く肩の力が抜けた呟きのような俳句を代表する一句であり、その意味では善兵衛さんの「第零句集」の最後を飾るのに相応しい一句かもしれない。
その他、印をつけた句を以下に紹介したい。
手をつなぐ影が一つに初日影
スロープを上る息子や大試験
地図になきカミオカンデや山笑ふ
春の波来たりて磯を舐め尽くし
薔薇を見る人を見てゐる我のあり
ばあちゃんの買ひ物列車麦の秋
日盛にオオコンニャクの花序折れし
猪追ひの杭打つ村の残暑かな
まだ古き教室もあり柿もあり
錫の都と言われし個旧秋の暮
(杉原 祐之記)
湯浅善兵衛さんにインタビューを行いました。
Q1:100句の内、ご自分にとって渾身の一句
→地図になきカミオカンデや山笑ふ
Q2:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み
→この第零句集の機会を作っていただいた本井主宰と支援をいただいた読者の皆さんに感謝しています。
今は夏潮会への投句や吟行会に参加して、自らの句作の回数を増やし、レベルを上げていきたいと思っています。
Q3:100句まとめた感想を一句で。
→走馬燈句作が記憶呼び覚ます
〆