日別アーカイブ: 2011年8月9日

夏潮稽古会のお知らせ

夏潮稽古会のお知らせ

 

以下の要領で夏潮稽古会を開きます。年に一度の「稽古会」です。奮ってご参加ください。

まだまだ一部の会には空きがございます。

ご興味のある方は、逗子またはHPの管理者までお問合せ下さい。

 

日時:8月25日(木)~29日(月)

場所:長野県志賀高原 石ノ湯ロッジ

   〒381-0401 長野県下高井郡山ノ内町平穏7148志賀高原

   ℡ 0269-34-2421

 

A組:8月25日(木)~26日(金)   1泊2日

B組:8月25日(木)~27日(土)      2泊3日

C組:8月26日(金)~28日(日)      2泊3日

D組:8月27日(土)~29日(月)      2泊3日

E組:8月28日(日)~29日(月)      1泊2日

 

  各組、およそ以下のようなスケジュールを予定しております。

当日:12時、現地集合。(東京方面からは以下の交通手段が便利です)

 

     東京07:52発→ 長野新幹線「あさま507号」→ 長野09:45着

     長野駅東口10:10発→ 長野電鉄バス「直通志賀高原行」→ 木戸池11:28着

     (木戸池から石ノ湯ロッジまではロッジのマイクロバスが迎えに出ています)

 

   16時、俳句会(7句)

   19時、夕食。その後、入浴その他。まだ少々の螢は見られると思います。

 

翌日:7時30分、朝食

      9時、俳句会(7句)

           前山の竜胆、平床の松虫草が見ごろかと思います。

12時、解散(東京方面へは以下の交通手段が便利です)

 

           木戸池13:17発→ 長野電鉄バス「直通長野行」→ 長野駅東口14:40着

           長野14:59発→ 長野新幹線「あさま532号」→ 東京16:32着

           (木戸池まではロッジのマイクロバスが送ります)

 

  各組定員15名。参加費A・E組 13,000円。B・C・D組  26,000円

  朝夕は冷えますのでセーターなど、防寒のご準備を願います。

 

  日頃はなかなか俳句会でご一緒できない句友の方々の積極的なご参加をお待ちしています。今年も「参加記念Tシャツ」を準備中、お楽しみに。

花鳥諷詠心得帖9 二、ことばの約束 -1- 「文語と口語」

「用意の品」が整ったら、早速吟行会・俳句会に参加してみるのが「手取り早い」。判らないことは周囲の人に聞けば良いのだ。二度や三度失敗したってどうということもないし、それで閾が高くなるような「スマシた句会」など「惜春」には無いはずだ。


さて、そこで今回からは「ことばの約束」。
別に「約束」などといっても、法律でもなければ、モラルでもない。いずれ俳句も文芸である以上、言葉を「道具」あるいは「表現手段」として自由に用いて宜い訳で、の用る際の、およその「目安」を、幾つか挙げて置こうというのだ。

文語と口語
世の中には「文語」と「口語」という区別があって、「文語」というと何やら、ひどく古めかしいもので、日常生活からは大きくかけ離れ、若い世代の人たちにはちんぷんかんぷんで、やがては滅び去りゆく物であると考えている向きも少なくない。しかし、一寸考えれば判るように、全く別の言語体系が並立しているわけでは勿論無いのであって、多くの部分、否、殆どの部分で「文語と「口語」は共通しているのである。

当たり前のことで同じ日本語であるわけだから、その「ズレ」は洵に些少と言える。早い話が「ちち」も「はは」も「やま」も「かわ」も、文語であるし口語でもある。その微かしかない「違い」は充分学習可能の範囲内なのだから、「文語」は教育すれば、必ずマスター出来る。

因みに筆者自身一九四五年生まれで、まさに「戦後教育」だけを受けて来た訳だが、「文語」をマスターとは烏滸がましいが、少なくとも「違和感」は感ぜずに日々を暮らしている。
「もう、これからの若い人には文語は無理だから、俳句も口語でつくりましょう」なんて妙に迎合的態度をとる俳句指導者がいるが、それはおかしなことだと思う。

「ことば」は確かにどんどん変化している。それは昔からのことなのだ。例えば『枕草子』百九十五段の、なに事をいひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにとせんとす」といふと文字をうしなひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」などいへば、やがていとわろし
に見えるように、すでに平安時代にも「ことばの乱れ」はあった。

「と文字」を省いた少々下品な言い方が蔓延して、其れを清少納言は非難ししているのだ。
ところがその誤った語法もやがて「むず」という助動詞として認知され、現在の学校教科書にもちゃんと登場するのだ。丁度、現今若者の「ラ抜き言葉」が糾弾されているのに似ている。     (つづく)