季題は「麻服」。『虚子編新歳時記』、および『ホトトギス編新歳時記』に「麻服」として立項はされていないが、どちらの歳時記にも「夏服」があり、その解説文中には「麻」という素材が記されていることから、「麻服」も自ずから「夏の季題」の範疇に考えても良いであろう。さて大昔の「紳士」達は夏場に「麻の背広」などを着ることもあったようだが、我々世代はさすがに「麻の背広」を着る勇気は無かったし、せいぜい「ギャッツビー」の映画を見て溜息を零す程度であった。しかし、一句にはそんな人物が「バーの客」として登場する。この「バー」というのも現代生活からは、やや遠のいた存在。勿論、探せば、昔ながらの「バー」も無くは無かろうが、すっかり「酒」と距離の出来てしまった筆者には「夢の世界」ではある。一句の場面は、「老バーテン」が一人カウンターの中に立っているような薄暗い「バー」。その「止まり木」にかけた、一人の紳士の「麻服」に少々「皺」が寄っていたというのである。店内には音量を絞った「ジャズ」が流れ、人の話し声もあまり無い。一句の手柄は「景色の」。「見どころ」と言った意味合いか。茶道具などでも使うらしいが、如何にもこの「バー」に相応しいものとして「麻服のしわ」があったというのである。作者の「美学」なのである。(本井 英)
「潮騒を聴きながら(雑詠句評)」カテゴリーアーカイブ
熱狂を忘れて秋の雲となる 前北かおる
季題は「秋の雲」。虚子編『新歳時記』には「秋の大空に湧いては消える雲である。冬の雲の如く堅くもなく、夏の雲の如くいかめしくもない。絶えず流動して、人々を失望させたり、よろこばしたりすることが多い」とまことに感覚的な解説文が記されている。一句はこのような歳時記の解説にも、ある点で応えているような趣がある。もっとも注目すべき表現は「熱狂を忘れて」。虚子は「夏の雲」に関して「いかめしい」との評価を下しているが、作者はやや異なった見方をしているようだ。曰く甚だしい、狂おしいまでの「流動」である。「いかめし」の表現には「威厳」のようなものが強調されて、高々と連なる「雲の峰」の勇姿が想起されるが、「熱狂」は「動き」であり、我々の目に浮かぶのは、もくもくと立ち上がり止まるところを知らない「入道雲」である。作者はそうした「夏の入道雲」の「熱狂」を噓のように忘れて静かに「佇み」、「たゆたう」秋の雲を静かに見遣っている。精緻な写生句という訳ではないが、ここには季節の大転換が我々にもたらす劇的な変化に静かに向き合う俳人としての「目」がある。(本井 英)
夢の中で起きて働く朝寝かな 浅野幸枝
季題は「朝寝」。虚子編『新歳時記』では「春は寝心地のよいものである。朝寝の最も心地よいのも春である」とある。たしかに実感として、誰もが「朝寝」は心地のよいものとして満喫したいもの。「睡眠」の科学的なメカニズムは知らないが、何となく「半睡半覚」のような気分がたまらなく甘美だ。作者もそんな状態なのだろうか。実際に起き出して「働かなければ」と思いながらも蒲団に身を横たえ、しかも「夢」の中では「働いている」というのである。「朝寝」というものの持っている「蠱惑」的な魅力を存分に表現した一句と言えよう。(本井 英)
モノレール枯木の中を辷り出す 大山みち子
季題は「枯木」。葉を落として幹と枝ばかりになった樹木である。「裸木」という季題もあるが、こちらにはやや情感が纏わり付く。「モノレール」は「一本」のレールを跨いだり、ぶら下がったりする仕組みの輸送手段。多くは都会でもお洒落な「乗り物」のことを呼ぶが、蜜柑山や山葵田などを縦横に巡って「荷物」を運ぶ軽便な小型運送手段も「モノレール」と呼ぶ。掲出句はおそらく前者であろう。「辷り出す」の措辞は「小型の運搬手段」には相応しくない。木立越しのやや斜め上方に「モノレール駅」が見えるのであろう。地上数メートルの高さに設置された「駅」にモノレールの車両が停車している。発車時間が来て、音も無く発車する「モノレール」。地上数メートルの高さには「枯木」の「幹」と「枝」ばかりである。そんな「縦の線」の密集の中を「辷り出す」近代的な「モノレール」の車体。不思議な調和が感じられる景となった。これも大切な「写生」の「眼」である。(本井 英)
湿り気の残る大気や梅香る 山内裕子
季題は「梅」である。春の季題でありながら、つねに「寒さ」と背中合わせの感じが強いし、「探梅」という季題になると、ともかく「咲いているかも知れない梅の花を求めて」寒中の野に立ち出ることになる。「大気の湿り気」は即ち「湿度」。梅の咲く頃の湿度は、地方によってさまざま。となるとこの句、詠まれた地方によって味わい方が少々異なるのかもしれない。例えば日本海側の雪の多い地方の場合。春になって晴天の日々が続いても、どことなく「湿り気の残る大気」の中で、漸く梅も綻び始めた、と言う気分が伝わって来るし、これが東京などのようにこの時期「乾燥」することの多い地方なら、昨日久々に降った「雨」の湿り気が今日も残っておって、という喜ばしい気分に充ちてくる。どのみち着実に進行する早春を讃える、しみじみした佳句となっていよう。(本井 英)