潮騒を聴きながら(雑詠句評)」カテゴリーアーカイブ

在宅の仕事納めの静かな日  藤森荘吉

 季題は「仕事納め」。『虚子編新歳時記』、『ホトトギス編新歳時記』共に、「御用納」はあるが「仕事納め」は季題として立てていない。角川『俳句大歳時記』では「御用納」の傍題として立項、例句として宮坂静生の<揺れゐたり仕事納めの弥次郎兵衛>の一句を掲げる。「御用納」となれば官公庁、あるいは古くは朝廷、幕府での業務を納める日。民間あるいは武家でない者が使うのはやや憚られたものであろう。そこで自然と「仕事納め」という言葉が使われ始めた、と思われる。一句の味わい処は「在宅の」。普通に「家に在る」の謂で永らく使われてきた言葉で、「在宅起訴」などという物騒な言葉もある。ところが近年の「コロナ騒ぎ」から「在宅勤務」が大幅に導入され、多くの勤め人達が、無理に通勤しない状態が広まってくると、一つの「暮らし方」として認知されるようになり、掲出句などの状況も誠に納得のいくものとなった。全員が通勤していた頃、「仕事納め」となれば、気心の知れた同志で「一杯やって」から家路に着くのが、当たり前だったものだが。静かにパソコンの電源を切って「終わり」という事になるのであろう。「静かな日」という表現に、一日の静けさも思われて、「令和の句」であると実感させられた。季題に随順した健全な人生を思った。(本井 英)

冬ぬくし博物館のキッチンカー  遠藤真智子

 季題は「冬ぬくし」。「冬暖」の傍題である。立冬が過ぎているのに、まだまだ秋の続きのような日和で、風もないような状況である。「キッチンカー」という車両はいつ頃から、こんなに身近に見かけるようになったのであろうか。小型トラックを改造して、少々の煮炊きなら出来るようになっているらしい。東京のオフィス街などでは働いている人の数と食堂の定員のバランスがとれて居ないためか、若いサラリーマン達が「キッチンカー」で温かいランチを買って、近くの公園などで食べるというのも近年よく見かける景色だ。さてこの句では、その「キッチンカー」が「博物館」のフロントスペースに登場しているのである。

 比較的ゆったりしたスペースにゆったりと建っていることの多い「博物館」。その一画に駐めた「キッチンカー」の前に二三人のお客が並んでいる。なるほど「冬ぬくし」という気分が伝わってくる。たまたま通りかかった作者の目には納得のいく景として見えたのであろう。平凡な景色の中に、季節のゆったりした推移が見えて来る。(本井 英)

片づけの手際よきこと里祭  矢沢六平

 季題は「里祭」、「秋祭」、「村祭」とも呼び、秋の季題である。「祭」が夏のもの、都会のものであるのに対して言う。村の顔見知りだけで執り行い、祭客とて大して集まるわけでもないものではあるが、それなりのクライマックスはあって、神輿の渡御なども無事終了。その後は粛々と各員「持ち場」を「片付け」て行く。その行動がまことに「手際」がよく、あっと言う間に「祭」以前の状態に復していったというのである。各地の「夏祭」の多くが観光という側面を意識したイベントになりつつあるのに好対照をなしていることに気づいた一句である。都会で育ち、現代そのものを生きてきた作者が、一転、地方の生活に身を委ねて年月を過ごし、至りついた知恵が見つけてくれた「一場面」であったと言えよう。(本井 英)

妻逝きて物音しない夜長かな  田中金太郎

 季題は「夜長」。代表的な秋の季題だが、「夜学」、「夜業」などの季題から考えても、物理的な「夜」の長さを、前向きに捉えた同系季題が少なくない。落ち着いた「静かさ」を肯定的に考えたものが基本なのであろう。しかし、この句の場合はそうでも無い。一つの「家」という空間に二人で暮らしていた頃には、何気なく耳にしていた「妻のたてる音」を安心の「糧」としていた。その「物音」がプッツリと喪失された。居たたまれないような「不安」が、「夜長」という季題の中に充満している。その耐え難さはご本人以外には、なかなか想像が及ばない。もう一つ、この句の特徴は口語である。普通の文語文脈なら、「物音のせぬ」あるいは「物音もせぬ」とあるべきところだが、作者は敢えて「物音しない」と表現した。一見、不束な表現にも見えるが、実際に音に出して読んでみると、そこに何とも若干の「甘み」を含む「悲しみ」がゆらめいてくる。そこにこそ「妻」への、切ない思いが、感ぜられる。(本井 英)

八月や深き疲れに眼閉ぢ  児玉和子

 季題は「八月」。勿論新暦の「八月」であろう。筆者にも『八月』という句集があるが、八月の上旬には「立秋」という厳然たる「秋」の到来はあるものの、「暑さ」はますます猛威を奮う時節であり、さらに近代の日本人にとって決して忘れることのできない「広島」・「長崎」の原爆投下、さらには「終戦記念日」もある。あるいは本来なら「七月十五日」という日付けの「盆」も、さまざまの経緯から一ヵ月遅れの「八月十五日」を中心に執り行われるのが現実である。となれば彼岸の人達との交流もおよそこの頃のこと。そんな「含蓄」の深く籠められた「八月」に作者は「深き疲れ」に襲われ、「眼コ」を「閉じる」という情況にある、というのである。それ以上のことにこの句は触れていない。それが、どのような「疲れ」なのか、さらにはどのような「情況」によってもたらされたのか。一切不明である。しかし、その「深き疲れ」にじっと「眼コ」を「閉づ」状態の自らをじっと感じている作者本人の思いは、自ずから滲み出て来る。さらにそうした「思い」が自分だけのものでは無いのだということを、了解しての一句である。(本井 英)