冬ざれの野は荒浜に続きけり    町田 良

 季題は「冬ざれ」。淋しげな冬景色である。田畑ではない冬の「荒地」を防砂林などを横目に辿って歩いて行くというと、いつの間にか荒々しい浜辺に出ていたというのである。湘南の海などを頭に描いていると、なかなか想像しがたい景であるが、地方へ行けばありふれた景色である。

 「荒浜」にあるものは何年もの間に漂着した「汐木」やら、舟の部品やら、ペットボトルやら。その奥に広がる海原には冬浪が弾けて、風に飛沫が飛ばされている。しかしこの「荒浜」も春になれば、ほっとするような「季題」に満たされることにもなるのであろう。 (本井 英)

しろのだだ広ごりに海へ出づ   藤永貴之

 季題は「雪しろ」。早春、野山の雪が急に融けて海や河や野に溢れ出ることである。一句の味わい処は「だだ広ごり」。口語で「だだっ広い」などとは言うが「だだ広ごり」と言うかどうか、筆者はその用例を知らない。また「だだ」には「だだ洩れ」などという言い回しもあって、止めどもなく洩れる情況を言い表す。そんなことから初めて耳にする言葉ながら、河口一杯に広ごり湛える「雪しろ」が海へ向かってじりじり移りゆく様が、ありありと目に浮かんだ。

 耳慣れない言葉ながら心を揺する何かがあった。さらに、これが「雪しろ」という毎年の現象であることが、災害の危険性を余り感じさせず、どこか落ち着いて見渡すことができる安心感をもって味わう事のできた秘密かも知れない。「季題」の持っている力であろう。(本井 英)

蜂追ひの紙縒りキラキラ秋日和 矢沢六平

 「蜂追ひ」は主に信州で行われている猟。クロスズメバチ(ジバチともスガルとも呼ぶ)の巣を掘り出して、中の幼虫などを食べ物として収穫する。「猟」の方法は、初めにイカなどの動物蛋白で蜂を誘き寄せ、その一匹に「白い紙縒」の付いた餌を抱かせ、その餌を巣に運ばせる。巣に向かって飛び始めた「蜂(目印の紙縒)」を数名の男達が追いかけ、「蜂の巣」を突き止め、後は煙で蜂たちを気絶させ、その隙に「蜂の巣」を掘り出してしまう。そんな「蜂追ひ」の実際を一句にしたものだが、中七の「紙縒りキラキラ」に林間の木漏れ日の中を飛んでいく蜂の様子が遺憾なく描写されていて面白かった。「いくたて」を説明せずに、印象的な一場面だけで表現したところに力強さまで感じられた。東京を遠く離れて信州に棲まっている作者ならではの一句と言えようか。(本井 英)

残りページ気にしつつ読む良夜かな  馬場紘二

 季題は「良夜」。名月がくまなく照らす夜のこと。作者は今、読書中。読み始めはやや難渋しながら読んだ本が途中から興が乗って、どんどんページが進み、当初予想していた時間よりも早く読了しそうな様子を想像した。昼間から心設けしていたことだが、今宵は仲秋の名月。天気予報では晴れて全国的に「お月見日和」とのこと。いま読んでいる書物は、何処かで中断して夜はゆっくり「月見を」と考えていた作者だが、思わず読書のペースが上がり、この分では読み終えてから「月見」が出来そうに思えてきたのであろう。家人の話では「月」は、もう大分高く上がっているらしい。中断するか、読了するか、そんな気持ちで、ときどき「残りページ」を気にしている作者の姿が想像できた。作者が「轟亭の小人閑居日記」で有名な読書家であることを考え合わせると、いかにも静かで知的な時間が流れていることも感じられる。 (本井 英)

遡る波を見てをり橋涼み  山内裕子

 季題は「橋涼み」。虚子には〈橋涼み笛ふく人をとりまきぬ〉という印象的な句がある。「納涼」の句には一見にぎにぎしく見えながらも、どこか静かで、ときに淋しさを伴うことが多い。この句にもそうした静かな淋しさが漂う。ところで川面に立つ「波」にはおよそ三種類の「波」が考えられよう。一つは上流から流れ下るときに川底の形状などによって波状となるもの。「川波」と言えば普通このことだ。ところが河口付近では海の影響から、干満に伴うものや沖のうねりが河面にまで及ぶことがある。また上流下流を問わず、静水域では「風」の影響で風上から風下にかけて川水が波状をなす。これも立派に「波」だ。一句の状況は「遡る波」というのであるから河口近くの「うねり」の影響か、あるいは「風波」のことであろう。  なかなか収まらない夕凪の暑さを忘れる為に川畔までやって来た作者。「橋」の上まで出て、見下ろした河口近くの川面は海の方面からの「風」で細かいさざ波を立てている。その細かい川波は上流へ上流へと畳み止まないというのである。じっと「川波」を見ているうちに、少し淋しくなってきた作者かもしれない。(本井 英)