第零句集『日焼け』を読んで 矢沢六平
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信野伸子さんに初めてお会いしたのは、かれこれ十年くらい前の慶大俳句の石の湯合宿で、キュートでアクティブな元気女子、というのがその第一印象でありました。そして、先達ての夏潮新年会で久しぶりにお目にかかりましたところ、そこが全く変わっておらず、大変うれしく思いました。元気一杯の女性の姿は、しばしば僕らおじさんに勇気を与えてくれます。なんだかこちらまで溌剌としてまいりました。
だから、ちょっと意外と言うべきなのか、いやいやだからこそなんだ、と言うべきなのか。句集中に一見、東京ヘップバーンな詠みっぷりの俳句がいくつかあり、まずそれらが僕の琴線に触れてきた。
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風邪の声聞けば逢ひたくなりにけり
お喋りな男はきらひ菜種梅雨
夏暖炉に寄れば今日ゐぬ人のこと
雷を前に問ひただしたき事のある
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お分かりいただけたと思うが、これらはすべて季題がよく効いている。したがって、ヘップバーンでもサラリーマン川柳でもない、正真正銘の俳句なのである。
(だがしかし、今僕が言いたいのは、そことは少し違う。ごめんなさい)
僕の場合だけかもしれないが、俳句に対して、いわゆる感想というものを抱くことがほとんどない。「これはいい句だなあ」と思い、その感触がしばらく続いて、…それでお終いである。そこが小説や詩に対しての場合と違う。
しかし、ほんのときおり、具体的な感想を抱く場合がある。
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僕は常々、「一度でいいから、三年くらい、女になってみたいものだ」と思っている。この世の中の人や物や事が、女の人にはどう見えているのかを知りたくて堪らないからだ。興味津々なである。
さて上掲の句。
きっと、これらを読んだ女性たちは「そうそう。そうよねえ…」と膝を打っているに違いない。そして口々に、その感想を具体的に述べ合うのだ。そこが知りたい!
でも、無理なんですよねえ…。
だから作者さん、そして全国の女性の皆さん、一度でいいから僕だけにこっそり、そこんところを教えてください。
お返しに、恋に仕事に頑張った元気男子だった頃のことを思い出して、ここに男の感想戦を公開しておきます。
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風邪の声聞けば逢ひたくなりにけり
電話の声はその人と分かるが実際の声とは少し違う。風邪ひきとなればそれは尚更だ。だから本人に逢いたくなったのだ。(同情を買おうという作戦は、ことごとく失敗だったなあ。見え見えだったんだなあ)
お喋りな男はきらひ菜種梅雨
なるほど菜種梅雨がよく付いていると思う。卯の花腐しでは、鼻白んでしまう。(何かを取り繕ろおうとするとき、必ずお喋りになってしまったなあ。だから見破られてしまうんだな。俺の場合、昔は悪かった、という自慢話はしなかったな)
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夏暖炉に寄れば今日ゐぬ人のこと
炎は人を思索的にさせる。だから人は炉に寄って来るのですね。(逢っていないときも想われていたことがあったなんて、考えたこともなかったなあ。そんな発想がなかったんだ)
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雷を前に問ひただしたき事のある
この「前」は、イン・フロント・オブではなく、ビフォアですね。雷鳴が轟いてしまえば、あとはだんまりしかないから。(言ってる事とやってる事がてんで一致してなかったなあ。今もそうだなあ)
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もっとお姉様な、アラサー俳句・アラフォー俳句ともいうべき名吟もありました。
たとふれば勝気な女沈丁花
著膨れて女の厄の話など
これは、男でも女でも作者たりうると思いますが、僕には到底詠めません。深くて、かつ感じのある句だと思います。感服いたしました。
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一日に葉書一枚灯火親し
この句に出会う数日前、新聞のコラムに永六輔さんが渥美清さんの思い出を書いておられました。
渥美さんは旅先で毎日必ず手紙を書いたそうです。文面はいつも同じで、「お袋。俺。元気だよ」だったそうです。簡潔にして、言いたいこと伝えたいことは全部書いてある。
まさにこの句のことであり、人の愛と優しさが心に染みわたります。
前回の青木百舌鳥くんの回で僕は、「モズ君は食うことが大好きなんだな」と書きましたが、今回はこう思います。
「のんちゃんは、人が、生きていることが、好きでたまらないんですね」
それが、序文で岩松先生が仰っている『冷静にをかしく見ている』姿勢になって現れているのだと思います。
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くたくたの英字新聞秋暑し
少年の輪の真ん中のばつたかな
打水の終ひはバケツ放るごと
浮輪して横断歩道渡りをり
秋風や背中で話聞いてゐる
日焼けして腕まくりして教師たり
冬帽の人ふり返る似てをらぬ
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少し趣の違う句として、こんな句もありました。
湧きおこる土の匂ひや夕立来る
初旅は先住民の村祭
ワンピース干しある庭の酔芙蓉
俳人は、アーキテクトではなく、宮大工であるべきだ。
僕はこの頃、そんなふうに思います。僕達に求められているのは、まずは先人が受け継いできた「技術」を習得し、そしてそれを次代へ引き継いでいくことなのではないのか。作るべきは『スカイツリー』という目新しさやオリジナリティーではなく、見慣れてはいるが見れば見るほど美しい『五重の塔』。
伸子さんのこれらの句は、僕らが受け継ぎ、受け渡していかなければならない花鳥風月という五重の塔を建てるのに必要な、写生・写実という鑿の技を、すでに会得しているように思いました。
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俳句という「技芸」をおおいに堪能できる句集でありました。読ませてくれてありがとう!
順番が逆になってしまいましたが、今回の『秒殺句』を書き写して筆を擱くことと致します。
炎天のかの日も斯くや太田川