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夏潮『第零句集』(第一集)の紹介です。

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.1」 藤永貴之『鍵』

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.1」 藤永貴之『鍵』

「夏潮第零句集シリーズ」が始まった。記念すべき第一巻は、雑詠及び英主宰の鑑賞取上げ回数から、私が勝手に「夏潮Big4」と呼んでいる一人、藤永貴之氏。

 昭和四十九年福岡県生。平成六年に「慶大俳句」入会し、「惜春」「夏潮」に所属。平成二十二年の第二回「黒潮賞」受賞者(第一回も準賞)。 藤永貴之は静寂の詩人である。その句の特徴は季題が働きかけてくるまでじっと会話し、自分の主観と言葉が一致するまで妥協しない厳しさから生れてくる詩情である。

 また、彼の句には「間」の取り方についての創意工夫が見られる。

 我々の句風というのは、「二句一章」ではなく「一物仕立」と呼ばれることが多く、どうしても上五から下五まで「ストン」と詠まれることが多い(取って付けた様な切字「かな」「けり」の用法)。その中で、藤永貴之は時間の使い方、「間」の使い方に工夫が見られる。「間」を取ることで作者が季題に接していた長い時間の様子を作者に投影することが出来る。

 この句集のP6「腰掛けて眺むる人も冬桜」から、P8の「地を打つて魂抜けし霰かな」まで11句、「て」「で」で軽く切り「間」を取る句が並んでいる。

 逆に言うと「瞬発力」で詠んだ俳句と言うのは非常に少ない。それは藤永貴之の人柄にも非常に影響していることであろう。

 全体の詠み振りが大人しい俳句ばかりである。季題とじっくり交感するのが藤永の特徴であるが、お酒を飲んで我を失ったり、ロックのバンドで活躍するのも藤永の一面である。内面に滾る熱い思いを句にどうやって表現していくか。

 大学在学中、卒業後と色々回り道を歩んでいたが、福岡で女子高校の教師としての職を得、家族も得たいま、藤永貴之がこれからどのように季題に向かい、我々に見せてくれるか楽しみにしたい。

『鍵』抄 (杉原祐之選)

立冬と書くや白墨もて太く 貴之

後手をついて一ト息薬喰

茎立のめでたくも花咲きにけり

魞挿すや湖は晴山は雪

芍薬の芽の鉗(ツグ)めるに雨の絲

さみだれやタクシーの待つ楽屋口

青柿や俳句に作りごと要らず

抽斗をひけば聖書や夜の秋

アスファルトに出てしまひたる葛の尖

教会といふバス停も島の秋

(杉原祐之 記)

関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-671.html


藤永貴之近影”

藤永貴之近影

藤永貴之インタビュー

質問: 1)100句の内、ご自分にとって渾身の一句は?

→渾身の一句はないので、かわりに、いま好きな一句。

「家の灯の遠くに点り鶴の村 貴之」

2)100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込みは?

→自分らしくない句を沢山作りたい。

3)100句まとめた感想を一句で。

→「大群の鰯のかほの一つ一つ 貴之」

対象への密着と自己凝視―藤永貴之句集『鍵』を読む_涼野海音(「火星」・「晨」)

 対象にクローズアップする写生を得意とする作家がいる。四Sの中では、「ひつぱれる絲まつすぐや甲蟲」の句で有名な高野素十。

 藤永氏もこのようなタイプの作家に属するのではないだろうか。それは次のような句からうかがえる。

  居並びてみな横顔の都鳥

 一瞬「あっ」と思わせられ同時に納得させられた一句である。季題に対する眼が養われていないと詠めない句であろう。大発見ばかりを詠むのが俳句ではない。

  波の端踏んで歩める恵方かな

 この句も先の句と同様に誰もが見逃しそうなところを詠んでいる。実作者としての経験から言えば、「波の端」という核となる表現に至るまでは苦労されたかもしれない。本句集の序文にあるように、やはり「季題の前にじっと佇んで」詠まれたのであろうか。

  夕立にちから加はり来たりけり

 掲句は「一物仕立」を十分に生かしている。上五から下五まで一気まで詠むことで、夕立が地を打つ迫力を再現している。

 さてこのような対象に密着する詠法は、自己凝視をして詠む姿勢にも通じているように思える。

  立冬と書くや白墨もて太く

 「書くや」・「白墨」・「太く」の「く」の響きが心地よい格調を漂わせている。それはいかにも「立冬」にふさわしく思えた。

  沈丁花鍵を取り出すとき匂ふ

 句集名の由来になっている一句である。跋で作者は語っている、「私は、いつも持ち歩いている鍵を、ふといとおしく思うことがある」と。日常生活への慈しみが、そこはかとなくにじみ出ている。

  春月やわれひとり下り田端駅

 田端駅というと、新宿や池袋などのターミナル駅より、こじんまりしている。そんな雰囲気と春月がマッチしている。作者は帰宅途中にふっと空を見上げたのであろう。

 最後になるが、他に鑑賞したかった句をあげる。

  家の灯の遠くに点り鶴の村

  菜の花に観世音寺の甍見ゆ

  エイプリルフール一日中ひとり

  鵯の声がさヽりて椿落つ

  母よりの暑中見舞の初めて来し

  さみだれやタクシーの待つ楽屋口

  踝のとんがりを蚊の刺しにけり

  男とも女とも見え秋の暮

  アスファルトに出てしまひたる葛の先

 

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.2」磯田和子『花火』

 「夏潮第零句集シリーズ」が始まった。第2号は磯田和子(わこ)さんが登場

 和子さんは、昭和三十六富山県生。洗足大学魚津短期大学時代に、講師として東京から通っていた本井英に師事。その後、平成四年から「惜春」入会、「夏潮」には創刊から参加されている。

 富山の句会では中心的な役割を果たして頂いており、今年の5月含めて毎年のように富山での吟行旅行を企画いただき、楽しい場を提供いただいている。

 磯田和子さんは柔らかな詩人である。その句の特徴は本井英が序で述べている通りである(主宰がこのシリーズの序文を書くのは余り良くないと個人的には思いますが。。。)。

鰺の眼の大きく浅く空を見る 和子

季題は「鰺」。課題句で私が選者した時の句。「大きく浅く」と言う表現に自然豊かな富山に暮らす磯田さんの個性を感じた。

 肩に力を入れない句風である為、平易な言葉遣いで詩をなされている。よって、一部では類型的な句、只事の報告の句も散見されるが、そこを乗越え、今後も「柔らかな心」と「冷静な写生の眼」で磯田さんの第一句集への歩みを楽しみにしていきたい。

その為にキーワードは富山の風土・風俗をもっと積極的に詠み込んで行った俳句を拝見したい。

 

『花火』抄 (杉原祐之選)

若葉風母となる日の近づきぬ

秋繭の籠れる部屋の薄明り

成人の日の立山と対峙せる

雪折れに芽吹く力のありにけり

燕にシャッター少し開けてあり

ふいに手を取られ祭の人込みに

ファインダーはみ出し割るゝ大花火

運ばれて来ては囃され夏料理

ボール未だ載せしまんまに大枯木

目の高さより落ちてくる下り簗

 

(杉原祐之 記)

関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-702.html

磯田和子『花火』鑑賞 (稲垣秀俊)

 


磯田和子さんにインタビューをしました。

Q1:100句の内、ご自分にとって渾身の一句

A1:「歓声のどんに鎮まり揚花火 和子」

渾身といえるかどうかわかりませんが、句集の題名にしました「花火」を詠んだうちの一句です。

 

Q2:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

A2:今までの超スローペースを反省し、サクサクと句を作って行きたいと思います。

 

Q3:100句まとめた感想を一句で。

A3:秋天のクレーンの先の先に雲  和子

磯田和子『花火』鑑賞 (稲垣秀俊)

第零句集2号は磯田和子さん。和子さんの略歴は、杉原祐之さんの鑑賞文と重複するので割愛し、早速句の話に移る。

氷水そっと匙引くこぼさぬやう

季題は「氷水」、かき氷である。露店などで購入すると、コップ形の容器に山盛り入っているため、はじめの一匙には神経を尖らせることになる。大雑把な人であれば全く問題にしない景だが、ここにスポットライトを当てるところに、作者の繊細さを感じる。

磯田さんの繊細な心を窺える句として、さらに次の2句を挙げる。

秋繭の籠れる部屋の薄明り

松虫草人に会ひたる心地して

 本句集のタイトルは『花火』であり、掲載句のなかでこれを季題に用いたものは3句あるが、ここでは次の句を取りあげる。

続けざま揚がりて終ひ花火なる

「終ひ花火」という名詞化には賛否両論ありそうだが、花火大会の一際華やかなフィナーレを捉えた明朗な句だと思う。

 他に10句を選び、以下に記す。

穴まどひ見しと父にも怖きもの

成人の日の立山と対峙せる

大作をかけ終へ蜘蛛の休むかな

運ばれて来ては囃され夏料理

薔薇の芽に棘に濃き赤通ひけり

青といふ色のひときは熱帯魚

残る雪一塊の行き止まり

朝霧の退きつつ雨は本降りに

十薬の花に明るき杉木立

パンジー植ゑ準備完了花時計

 

(稲垣秀俊 記)

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.3」 永田泰三『一歩』

 

 「夏潮第零句集シリーズ」。第3号は永田泰三さん。

泰三さんは、昭和四十九年福岡県生。高校時代、藤永貴之さんと同級生。その後大学進学後、藤永さんを通じて俳句と出会う。慶大俳句のイベントにも参加いただいていた。

「夏潮」創刊に参加し、本格的に本井英に師事。同じ頃、茨城から千葉県の学校に転勤。その際、八千代に戻ってきた前北かおるさんと近所付き合いが始まり、そのまま「八千代句会」を創立。「八千代句会」「mixi句会」などで毎週のように句会に参加されている。

また、藤永さんとも「スカイプ」を駆使して句会をされているようで、その鍛錬振りが伺える今回の句群である。

 『一歩』を読んで泰三さんの四つの特徴が表れていると思った。

1.「博多っ子」としての泰三さん

泰三さんは典型的な九州男児である。焼酎に限らず酒類を手にしたら容易に離さない。普段の一歩謙虚な姿勢が打って変わって豪儀な男に変身する。

大空に止め撥ね払ひ秋の雲 泰三

2.「教師」としての泰三さん

 泰三さんは、高等学校の先生である。プロテスタントの学校で宗教を教えていらっしゃる。生徒に対する慈愛の心が溢れており、健康的な詠みっぷりが心地よい。

夏服の少女の手足もてあます 泰三

3.「牧師」としての泰三さん

 泰三さんはプロテスタントの牧師である。教会に属しており、毎週日曜日お勤めを果たされている。また私事になるが下名の結婚式を執り行って頂いた。

 そんな泰三さんの句は、写生句の中に自ずから宗教家としての気分が反映されている。

特に「耕し」「田植」など農耕に関する句が多いが、それらの句の中には「人々の営みと見えざる力」の緊張関係を描かれているように思う。

地の力信じて秋の畑打つ 泰三

4.「父」としての泰三さん

 泰三さんは2児の父親である。子煩悩な父親として家庭で見せる笑顔は大変素敵である。

父と子のままごと遊び秋の暮 泰三

 

 永田泰三さんは常に「夏潮」雑詠の上位を飾っているように、大変堅実な写生句を残す。その為、今回の100句の中にもモチーフとして大変近寄った句が散見された。

今後は、上記の4つの特徴を活かした句を詠み進めて頂くと共に、「武田騎馬軍団の如紅葉燃ゆ」のような俳句にもチャレンジして頂き、泰三俳句の幅を広げて、第一句集にて提示いただければと思う。もしかすると句集のタイトルとして取った「雪楽し一歩一歩を踏みしめて」の句は泰三さんらしからぬ、緊張をしていない緩まった句と思ったが、今後のご本人の進む道を示唆されているのかもしれない。

 

 

『一歩』抄 (杉原祐之選)

日脚伸ぶ頃に生まれて来てくれて

切株に腰かけて春待てるかな

駅を出てそれぞれ家へ春の月

体操着着て休日の田植かな

だまされてをるかも知れず西瓜買ふ

背伸びして妻風鈴を吊つてをり

目を凝らし耳を澄まして蚊を追へる

雨音を聞いてをるなり蟻地獄

莢押して枝豆口に飛ばすかな

雪楽し一歩一歩を踏みしめて

 

(杉原祐之 記)

関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-726.html

 


永田泰三さんにインタビューしました。

永田泰三さんとのQ&A


Q1:100句の内、ご自分にとって渾身の一句

A1:春泥をつんのめりつつ歩むかな

なんともあほらしくて自分では気に入っています。

 

Q2:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

A2:出不精を改めて、どんどん外へ出て行きたいと思います。

 

Q3:100句まとめた感想を一句で。

A3:をちこちを向きて柘榴の膨らめる