季題は「秋の雲」。虚子編『新歳時記』には「秋の大空に湧いては消える雲である。冬の雲の如く堅くもなく、夏の雲の如くいかめしくもない。絶えず流動して、人々を失望させたり、よろこばしたりすることが多い」とまことに感覚的な解説文が記されている。一句はこのような歳時記の解説にも、ある点で応えているような趣がある。もっとも注目すべき表現は「熱狂を忘れて」。虚子は「夏の雲」に関して「いかめしい」との評価を下しているが、作者はやや異なった見方をしているようだ。曰く甚だしい、狂おしいまでの「流動」である。「いかめし」の表現には「威厳」のようなものが強調されて、高々と連なる「雲の峰」の勇姿が想起されるが、「熱狂」は「動き」であり、我々の目に浮かぶのは、もくもくと立ち上がり止まるところを知らない「入道雲」である。作者はそうした「夏の入道雲」の「熱狂」を噓のように忘れて静かに「佇み」、「たゆたう」秋の雲を静かに見遣っている。精緻な写生句という訳ではないが、ここには季節の大転換が我々にもたらす劇的な変化に静かに向き合う俳人としての「目」がある。(本井 英)
熱狂を忘れて秋の雲となる 前北かおる
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