俳句を始めるについて用意したい「品」は幾つかある。
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俳句を始めるについて用意したい「品」は幾つかある。 まず筆記用具。 文字以前の文芸の時代には必要無かったであろうが、文字媒体によって文芸を安定的に楽しむ今の時代にあっては筆記用具は不可欠のアイテムである。
ところで早速脇道に逸れて恐縮だが、筆者は近年「文字」以前の「文芸」という世界を空想することが多い。
人類が「文字」という道具を得て、「言葉」が時間と空間の制約を乗り越え、遠く離れた人々へ、あるいは何日も何年も後の人々へ伝えられるようになってから、およそ五千五百年ほどが経っている。 随分長い時間のようにも思えるが、人類の歴史の中で考えれば、ほんの最近の出来事とも言える。 それ以前の言語生活は「文字」の無い毎日。
それでも人々は一定の社会生活を営み、家族は睦み合い、男女は愛し合っていたであろう。 いま「愛し合って」と書いたが、例えば男が愛する女を讃える時、「君は美しい」でも 充分意志は通じるであろうが、「君は花のように美しい」とも、「君は赤い茨の花のように美しい」とも、「君は赤い茨の花びらが、夜露を宿して微かに揺れるように美しい」とも言えた筈だ。
人を讃える事も、神を讃える事もあったろう。 即ち「文芸」は文字なんど無くても人々の言語生活を華やいだ豊かなものにしていたのだ。
これらは所謂「口承文芸」とよばれるが、この形が何万年も続いていたのだ。 『万葉集』をよく日本文学の「原点」のように言うが、そんなことは全く無いので、 あれは偶々千二三百年前の作品あるいは、その時点まで伝承されていた「文芸」を筆録したに過ぎない。 我々の「日本文芸」の「原点」は、つまり全く判らない。 例えば「三内丸山」でどんな伝承が語られ、どんな民謡が歌われていたか全く判らないように。
次回からは、ちゃんと「用意の品」の話を。
さて筆記用具というのは「書く道具」の謂いか、「書かれる道具」の謂いか。判然しないが、取り敢えず「書く道具」から考えてみよう。 「書く道具」。筆者は現在、句帳に書く時は「鉛筆」(句帳に附いている小さいやつ)、 句会短冊に書くときは「筆ペン」、清記・選句用紙には「筆ペン」を使用している。 近年の「筆ペン」は随分と品質が良くなって、結構細い字まで書ける。 勿論結構大きい字でも書ける。その辺りが「筆ペン」の良さだろうか。 さらに「筆ペン」は必ず「濃く」書ける。
老来、目がしょぼしょぼして来ると「薄い字」がまず苦手になってくる。特に夜分はそうだ。 ともかく「墨」とは偉大だと思う。 スタイルに拘るなら、「矢立」を持って歩いて、徐に一句なんて言うのも魅力的だが、メンテナンスが面倒だ。
一々綿に墨汁を補給するなんてことは筆者には出来ない。 勿論万年筆党も少なくないだろう。「良い万年筆」に当たれば結構だろうが、どうも筆者は外れがちだ。 使い方が下手なせいもあるのだろう。「ボールペン」を使う人はどのくらい居るだろう。
あまり見かけぬが。 かつて一度「ライト付きボールペン」なる物を頂いて使ったことがある。 ペン先近くに小型懐中電灯が灯る仕掛けで、闇夜の中でも句帳に句を書くことが出来るのだ。 初めは面白くて、わざわざ「闇」を求めて作句したりしたが、結局面白すぎて「句」が落ち着かなかった。 「闇」で心に浮かんだ十七音を最寄りの外灯までゆっくり吟味・推敲しながら歩いて 「句帳」に書き付けた方が、却って結果は良いようである。
虚子の最晩年の句帳というのが残っていて、その小振りの学習ノートに紐で結びつけてあった鉛筆が忘れられない。 すっかりチビていて、紙質の悪いノートに俳句が薄く書き付けられていた。亡くなった野村久雄さんの話しに、先生ご自身その薄い字がお読みになれなくて、 久雄さんに「読んでくれ」とおっしゃった事もある由。
これは直接俳句会や吟行の話ではないのだが、近年はパソコンが発達して、 「俳句」などは最もそれと遠い世界かと思っていたら、そうでもなかった。 実を言えば「桜山より」(註:『惜春』における本井英近詠のタイトル)も自宅のパソコンで打っている。 従って、原稿用紙にペンではなく、ディスプレーにキーボードという訳だ。 決してパソコンが上手ではない私でも、ペンで書くよりは余程早く書けるので重宝しているが、俳句を「横書き」で打ち込むのだけはやってて、気持ちが「辛い」。 書き終わって、「縦書き」に変換してやっと「落ち着く」。 若い友人達がメールで送って来る俳句も全て「横書き」最近はやや馴れてしまった。
立子先生がお元気だった頃、ある時、何かの拍子に、先生の「句帳」を見せて頂けることになった。笹目の俳小屋の地袋のような所に、行李に入っていたように思う。あるいはトランクであったかも知れない。ともかく二三百冊の「句帳」が几帳面に保存されていた。「句帳」のサイズは今でも玉藻社・花鳥堂で売っている小振りのものだった。
筆者も同じ「句帳」を現在使用中。一三一冊目が終わろうとしている。「吟行」が作句の中心舞台となってからは「句帳」は必需品となったが、明治時代、主として題詠が行われていた頃には「句帳」という感覚は無かったらしい。 筆者が一見した明治期虚子の「句帳」は「帳」ではなく、只の「半紙」だった。俳句会に臨んでは手近の「半紙」に出来た順に句を書き付けていた。ひとしきり書き付けると、さらに行間なども利用して「半紙」に二十句位は書き付けてあった。本来保存する気持ちも薄かったものであろう。筆者の一見した数十枚は希有な例であったのかもしれない。 その後虚子自身の発案で「吟行」が増えると、自ずから「句帳」も必須アイテムになった筈だが、虚子自身に「句帳」を保存する習慣は無かった模様だ。虚子の『俳談』に「句帳」という文章があって、その辺りの事情が詳しく書かれている。前回でご紹介した虚子最後の「句帳」は虚子によって捨てられる事もなく、現在無事に芦屋虚子記念文学館に展示されている。 「吟行」全盛の現代の俳人は皆「句帳」を持っているのかと思っていたら、興味深い話をある方に伺った。それは森澄雄氏とそのお仲間の吟行の話。三四人で奥多摩にでも「吟行」に行った一行は、ただ黙って野山を歩き、宿に着いて、風呂など浴びた後、画帳のようなものを取り出して、全員で一冊のそれに順にその日の収穫を書き記していき、書く句が無くなったところで、各自による句評がなされるのだそうだ。 つまり心の中に一日中温めて置いた句を順番に吐き出していく訳らしい。筆者など作句を覚えていられなくて、風呂など浴びたら全部忘れてしまいそうだが、その方のお話では、夜まで覚えていられない程度の句は意味がないのだそうな。俳句の世界も色々で、そんなやり方もあるらしい。 我等の仲間には句帳に「言葉」を断片で書き付けている人も見かけるが、私はそれはしない。十七字になってから書き付ける。「諷詠」の心構えを大切にしたいからだ。そして推敲によって語順などが替わった場合は、新たに次の行に書き直す。従って似たような句が何行にも書かれていたりすることもある。 大正期に始まった「吟行」という作句法は昭和に入って「武蔵野探勝会」をピークとして、 現在なお「花鳥諷詠」の俳句を作る「場」として最重要なものと言える。 そのことから、「歳時記・季寄せ」はハンディーであることが必須の条件となり、 筆者は現在稲畑汀子編『ホトトギス季寄せ』を愛用している。 これはさきに出版された『ホトトギス新歳時記』の簡略版として編集されたものであり、 『ホトトギス新歳時記』の成立には筆者自身が若干関与したことも、愛着の原因かもしれない。 季題の選定から解説文の内容等、およそ現今行われている歳時記類のなかでは 妥当な一書と考えてはいる。 旧来の虚子編『新歳時記』と併用することで一層の充実も得られる。 虚子は『新歳時記』の序文に「俳句の季題として詩あるものを採り、然らざるものは捨てる。 現在行はれてゐるゐないに不拘、詩として諷詠するに足る季題は入れる。 世間では重きをなさぬ行事の題でも詩趣あるものは取る。 語調の悪いものや感じの悪いもの、冗長で作句に不便なものは改め或は捨てる。 選集に入集して居る類の題でも季題として重要でないものは削り、 新題も詩題とするに足るものは採択する。」と記している。 要は季題には「詩」が必要であること、編集は「網羅的」の逆で、季題を「選別し」、 「篩い落とす」ことに意を用いたことを宣言している訳だ。 吟行会、俳句会への携帯には『ホトトギス新歳時記』・『ホトトギス季寄せ』・虚子編『新歳時記』等が 便利だが、一方、家で他人の句集をを読む時などは、やはり「網羅的」に一万も二万もの季題が 収録されているものがあるに越したことはない。 近代における大規模「歳時記」の嚆矢はやはり戦前の改造社版『俳諧歳時記』五冊本。 戦後の大事業としては角川の『図説大歳時記』五冊が現在でも頼りになる。 難点を言えば、出版当時自慢だった「写真」が今となって古びて違和感を感ずること。 人によってはそのレトロな感じを楽しんでいる向きもあるが…。 更に講談社の『日本大歳時記』五冊本も悪くない。 この講談社版は随分普及したものだが、筆者は「座右版」と称する一冊本を便利に使っている。 角川の『ふるさと大歳時記』は書棚に飾ったままで、未だに「うまい使い方」が判らぬままなのは洵に残念。 「歳時記・季寄せ」に眼を晒して季題の本情、季題の詳細に通じる事は花鳥諷詠俳人の必修科目。 しかし「歳時記・季寄せ」は「憲法」では無い。 眼に触れ、「詩」を感じた季節の言葉があったら、「新題」とても試みる柔軟さを忘れずにいたいものだ。 俳句会は学校の「書取り」の試験ではないから、判らない漢字や、自信のない漢字は「辞書」を引いて正しく書けば良い訳だ。また意味についても、おぼろげなものは、確認の為にも、やはり辞書にあたって見るべきであろう。そこで俳句会、吟行会に相応しい辞書について考えてみる。 虚子先生は『言海』をご愛用だったらしい。 |
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