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木枯と共に来たりし喪の葉書 基 (泰三)

  久しぶりに汐まねきを更新します泰三です。新年度は本当に忙しいですね。こき使われる毎日です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 季題は、木枯。冬の初めに吹く強い北風である。木枯が吹いてきたその頃、喪の葉書が届いたという。虚子の句に「風が吹く仏来給ふ気配あり」という句があるが、私たちは、「風」の中に「霊」を感じるものである。余談であるが、新約聖書が書かれたギリシャ語「プネウマ」、旧約聖書が書かれたヘブライ語でも、霊を表す「ルーアッハ」という語は、いずれも本来「風」「息」という意味を持つ。

 この句では、もろん作者のもとに届いたのは、一枚の葉書である。しかし、作者は、木枯の中にあたかも最後の挨拶に来てくれたように、亡くなられた方を感じたのではなかろうか。

東京吟行会(英)

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素晴らしい快晴。惜春の情たっぷりの気分で目黒自然教育園を歩きました。写真はイチリンソウとミツガシワ。今日は句会場が目黒イキイキプラザ、23名の盛況でした。今日から日本橋高島屋で、表紙絵をお願いしている清水操先生の個展が始まります。皆さん是非是非いらして下さい。夏潮の表紙となった絵も出品されています。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第23回 (平成17年5月13日 席題 蛞蝓・橡の花)

なめくぢの通りし跡か光りをり
元の句、「通りし跡や」。『跡か』がいいでしょうね。「や」にすると、切れ字みたいになってしまう。切れ字の「や」にしてしまうと、『跡だー。』と言っておいて、「それが光っている」というと、しつっこくなってしまう。「なめくぢの通りし跡か光りをり」というと、「光りをり」が強くなりますね。「や」で切るのではなくて、「か」と軽い疑問で、止めておく。それがいいと思います。たしかに光っていますね。乾いてね。
蛞蝓の跡らし壁をぬめぬめと
元の句、「(前略)壁のぬめぬめと」。壁全部がぬめぬめとしていたら、気持ちわるいわね。通った軌跡がぬめぬめと見えたとする為には、掲句のように。元の句だと、壁全体、おそろしい景色になってしまう。
橡の花チャペルの庭にこぼれけり
これも面白い句ですね。もちろん、日本のどこか山国の、信州かどこかの小さい庭にチャペルがあって、橡の花がこぼれてをった。信州でなくてもいいんですが、橡の花というのは、マロニエとが仲間という意識がどこかにあって、どこかフランスのチャペルのそばにマロニエが咲き誇っているなんていうのは、いくらでもありそうだけれども、マロニエの花でなくて、橡の花が日本のチャペルの庭にこぼれてをったというと、どこかで遠いイメージとして、西洋のマロニエと栃の花の微妙な気分みたいのがあって、面白いと思いますね。「庭にこぼれけり」で、もしかしたら、そこで今日は結婚式がささやかに行われているのかもしれません。そんな連想も楽しく湧いてくる句だと思います。
蟻つかみそこねたる児のつんのめる
これ、あるんですね。一つ半くらいの児でしょうかね。真下ならいいんだけど、ちょっと先の蟻を掴もうとして、前のめりになったら、まだ頭が重いし、脚力がないから、なるほどこれは実景だったと思いますね。空想でこういう句はできないと思いますね。そして「つんのめる」という言い方も平易で、よろしいと思います。小さい児のむちむちした足首が見えてきますね。
朴咲いて白馬村なる日和かな
元の句、「白馬の村の日和かな」。『白馬の村』というと、『白馬の騎士』みたいになってしまって、あるいは、白い馬がたくさんいる村みたいになってしまいますね。白馬の村はちょっと無理でしょうね。もしかして信州の白馬村だとすればね。そうしたら、白馬村とおっしゃらなければ無理なんで、掲句のようにすると、なるほど、栂池とか、天気がよければ、上の白馬槍とか杓子とかが見えている。その日和も、想像できると思います。