投稿者「taizo」のアーカイブ

男らの手ぶらの散歩山法師 秋 (泰三)

 秋が深まって来ました。寒がりの私はもう厚手の蒲団を用意しました。皆さんはいかがお過ごしですか。

 

 季題は山法師で、山野に自生する夏の花である。

 この句。男達がぞろぞろと歩いている。手ぶらである。俳人やご婦人方であればそうはいかない。俳人であれば、句帳や辞書、最近は電子辞書なので極めて軽いので助かるのだが。また、筆記用具を持たなければならない。森澄雄氏などは、現場では句は作らず机に戻って書いたらしいので、手ぶらであったのかも知れないが、我々写生派は手ぶらなどありえない。ご婦人方もちょっとした散歩の際にも何やら持ち歩いているものだ。

 先にも書いたが、この集団は手ぶらでぞろぞろ歩いている。何とも潔いその姿が、山法師という無骨な名を持つ花と響き合う句だ。

 

 

市場より海に放られ菜種河豚   祐之  (泰三)

 季題は菜種河豚で春。菜種河豚という種類がいるのではなく、菜の花が咲く頃の河豚のことを言う。最も毒性が強いそうだ。

虚子編歳時記には、例句として次の一句のみがあげられている。

捨てられもせずに生簀の菜種河豚  白兔

 さて、この句。市場で獲れた魚を選り分けていると、河豚が混じっている。食べられもしないので、そのまま海へと放り投げる。何ともぞんざいな扱いだが、河豚はそんな風に扱われていそうである。港で働くものたちは、特に感慨もなく、慣れた手つきでぽんぽん海に放るのだろうが、河豚に取ってみれば、とんだ命拾いである。空中に、放り投げられている河豚の形状が頭に浮かび面白い。

 

女子寮の夜の風鈴鳴り初むる ひろし (泰三)

 残暑のため、まだまだビールが美味しいですね。皆様はいかがお過ごしでしょうか。

  季題は風鈴で夏。涼しさを耳で味わう誠に風流なものである。散歩でもしていたのだろうか、女子寮の側を通りかかった。男子禁制の女子寮にもちろん入る事は出来ないし、女子寮というものは、大抵高い塀に囲まれている中を見ることは出来ない。

 そんな女子寮から風鈴の音が聞こえ始めた。漏れているのは、窓から漏れる光と風鈴の音だけだ。女子寮に暮らす女性は、家元から離れひとり暮らしをしている。風鈴を吊すのだからきっと風流な女性なのだろう。などど、見えないからこそ、様々な想像力をかき立てられる句である。

 

スカートをひらりと返し蚊を打てる かおる (泰三)

 行事の秋がやってまいりました。我々教員はほとほと疲れ果てる季節ですが、皆様はいかがお過ごしですか。

 季題は、蚊で夏。なじみ深い昆虫である。刺されても痒くならなければ少々の血ぐらい分けてあげてもよいのになどと思っているのだが、射されると誠に痒い。

 この句は、女性が蚊を打っているところ。本人は、極めて真剣なのだが、端から見ていたら、ひらりとスカートが翻り、あたかも踊っているようにも見える。普段おしとやかでゆったりとした女性なのだろう。そんな女性が見せた意外な一面といった感じで面白い。

 

一と夜さの春の嵐の島泊り 武子 (泰三)

 今度こそ心を入れ替えて、汐まねき更新に励んでいきたいと考えている泰三です。皆さんよろしくお願いします。

 季題は「春の嵐」で春先の荒れた天気を言う。

「一と夜さ」は、「一夜」と意味は同じ。広辞苑によれば、「よさは、夜さりの意。ひとよに同じ」とある。「一夜の」では、上語が字足らずとなってしまうので、是非とも覚えておきたい言葉である。句意は、一晩中春の嵐が吹き荒れる島に泊まったというもの。旅の途中の状況をきちんと言い留めた句である。このような句は、年月が経って読んだとき、その旅の状況などが思い起こされて何とも楽しい。

 「一と夜さ」という言葉の響き、そして助詞の「の」のリフレインが上品で、口に出して読んでも心地の良い句である。