月別アーカイブ: 2022年4月

課題句(2022年4月号)

課題句「草餅」       辻 梓渕 選
                                                      
摘まみたる草餅指に吸ひつける		山内裕子
やはらかき雨の降る日や蓬餅

本題の前にとすすめよもぎ餅		岩本桂子
草餅を食うても思ひだし泪		藤永貴之
草もちやそろそろ下の子が帰る		前北かおる
草餅やヘギ経木のうす皮座布団に	前田なな

おでん屋にゐるかと見ればをりにけり  児玉和子

 季題は「おでん」。季題に関して「厳密」を旨とするという立場を表明している人々なら、「おでん屋」は一年中「おでん屋」で、真夏でも「おでん」を売っているのだから季題にはならないのだ、と宣うのであろうが、一句中に他に季題になると思われる言葉がないのだから、一句の季題は「おでん」で季節は「冬」となるのである。 これで何の問題もない。例えばこれが「おでん屋の客無きときの扇風機」というのであれば、これは「扇風機」が季題で、夏の句となる。こちらはこれで何の問題もない。

 さて一句は誰かを探して夜の巷を訪ね回って居る人物が主人公。探されているのは友人か、仕事仲間か、はたまた家族か。ともかく食事をしているであろうからと、心当たりを探していたのではなく、一杯吞んでいるに違いないと思って、見当をつけて探し当てたのである。そんな「見当」で当たるということは、新宿とか渋谷とかいう繁華街では無く、もう少し狭い範囲の、選択肢の少ない「盛り場」らしい。どこか鉄道沿線の、少々の飲み屋街のある町。「どうせ、どこかで飲み始めていることだろうよ」てな見当で「おでん屋」の縄のれんを跳ね上げて、ガラリと戸を開けてみると案の定カウンターに猫背になってちびちびやっている「尋ね人」を見つけたところである。

 一句の良い所は、いかにも「軽い」内容を、いかにも「軽い」リズム感のなかに貼り付けたところ。深遠な「文学」というのではないが、この場面に到るまでの人間模様などを穿鑿してみると、「おでん屋」の縄のれんにいたるまでの、小寒い「北風」の様子だけでなく、文学以前のような「心の行き違い」などまで見えてこよう。(本井 英)

雑詠(2022年4月号)

おでん屋にゐるかと見ればをりにけり		児玉和子
白湯吞んで老いにけらしな年送る
一病が二病となりて年の行く
大寺の 欄 (オバシマ)に倚り年惜む
街師走舟和にあんこ玉買うて

風待の花筏とぞ申すべき			藤永貴之
雪まみれの犬のごとくに気動車来		稲垣秀俊
年行くや今日一日と生きてきて			山内裕子
何もかものつぺらぼうに年流る			天明さえ

主宰近詠(2022年4月号)

父の代の   本井 英

父の代の松飾には如かざれど

食積が卓の真中にそびえたり

食積をのぞきに来ては子供たち

遠来の孫娘より屠蘇を酌む

賀状なほ四半世紀を会はざるに



宝引の緒の這つてゐる疊かな

綱引やちらちら白いものも舞ひ

墓地通り抜けて七福詣かな

福詣とよ寺町に人通り

韋駄天は福神ならね詣でけり



初場所の向正面なる女

素手の子の一人まじれる雪まろげ

冬ざれて一花とてなき母の墓

枯葎襖なしたり滑川

川床を拾ひ歩きや寒最中



寒鯉の影寒鯉の腹の下

寒肥やいちいち話しかけながら

路地に日のあふれ果して寒梅も

春を待つべし池に棲み川に棲み

難題をかかへ込みつつ春を待つ