月別アーカイブ: 2013年1月

零句集『赤と青』を読んで (矢沢六平)

 零句集『赤と青』を読んで

                  矢沢六平

 

 原三佳さんと初めてお会いしたのは、平成十六年の御柱祭山出しにお越し頂いた時でした。

 祭り繋がりのご縁だからでしょうか、句集を開くと、さっそく僕の目に祭の句が飛び込んできました。かれこれ三十年前、神田淡路町に住民票があった者として、町会神輿は担いだけれど明神様の宮神輿を担ぐ機会を得ないまま志賀高原石の湯へ去った者として、どうあっても見過ごす訳にはいかない句であります。

 

神輿渡御神田に町の斯くも多く

 ご承知の通り、神田には古い町名が沢山残っています。そぞろ歩きしながら、電柱に貼られた住居表示を読んでいると、いつまでも飽きることがありません。句は、それを言っているのですね。

 宮神輿とは別に、町会神輿がこんなに沢山出ているなんて、神田には一体、幾つ町があるのかしら……ではなくて、渡御の後ろをついて歩くうち、ふと電柱の住居表示の多彩さがに気が付いたんですね。祭を楽しみつつ、ちゃっかり別のことも秘かに「面白がっている」のは、俳人ならではのお洒落な感性です。

 

一日で日焼けせし子の話し止まず

 その子供は、お風呂に入ってご飯食べ終わっても、まだ興奮さめやらず、なんですね。下五の字余りは、作者の感懐をよく言い表して、効果的だと思います。

 

無造作に銀杏掃いて庭師かな

 プロだからこそ、無造作、なんですよね。

 

一ト山を拓きし宅地狂ひ花

去年土筆摘みし建設現場かな

 ここには「文学」があります。テーマは、宅地開発というものに対するかすかな違和感。「狂ひ花」という季題のチョイスと、土筆摘みしの「し」の過去形に、それを感じます。

 

ゆつたりと奏づるごとくスキーヤー

 年配のスキーヤーなのかもしれません。今風のエッジで「切る」スキーではなく、昔風のテールをずらして「回す」ことでターンするスキー。ワルツみたいで、とても優雅です。

 

探梅と新居まはりの探索と

 周辺に梅が咲いている(かもしれない)環境の土地に新居が建ったんですね。「探索」という言葉を選んだことで、ウキウキ感を出すことに成功しました。「探梅」「探索」とタンで頭韻を踏む効果に言及する向きがあるかもしれませんが、この句の場合は、その見方に僕はあまり与しません。

 

手付かずの庭にものの芽新居なる

 春近し、の歓びがよく伝わってきます。

 

磯ぎんちやく迷惑さうにすぼみたる

 え、またでっか? 堪忍してや。わしら、触られると、シュッとすぼまりまんねん。知ってまっしゃろ。え、また?

ボン、ほんまにもう勘弁してくんなはれ。…。(大阪弁、あってる?)

 

天気図の大きく貼られ登山小屋

 天気図が「大きく」貼られている、と言っただけで、機能一点張りで無骨、存外安っぽくてチャチ、そんな調度品の数々が見えてきました。不思議ですね。登山をしたことはないのだけれど、登山小屋ってきっとそういう感じなんだろうと思いました。

 

放たれて流灯寄る辺なく揺るる

 何だか去り難い気分になっているんですね。流した本人も「寄る辺なく」佇んで流灯を眺めている。

 

天高しレジャーシートのやや狭く

 もしかしたら使うかもしれないと思って持ってきたレジャーシート。だからちょっと小さい。でも、その狭さがかえって楽しい。(三人家族かな…)

 

賽銭にどんぐり混ぢる地蔵かな

 里のお地蔵さんですね。山中や峠ではない。

 

べきことをほぼ了へ仕事納めかな

 少しやり残したことがある、というのが、いかにも会社員の仕事納めだと感じました。どういうわけか、「to doリスト」なんて言葉が思い浮かびました。

 

パソコンの画面明るき事務始め

 mixi句会でコメントを書いた記憶があります。特選句にコメントを付けるのがルールだから、その回の僕の特選だったのだと思います。いつもよりパソコンの画面が明るく感じられたんですね。まさに仕事始めの、清々しい気分に充ちています。

 

薄氷をぱりと踏むぱりりんと踏む

 薄氷にそっと靴裏を当てたら「ぱり」っと音が伝わってきた。何だか不意に楽しい気分になってしまい、もう一度(今度は別の場所を)もう少し強く、「ぱりりん」と踏んでみました。踏んでいるのは子供ではなく、いい大人、ですよね。

 

ものの芽の緑は緑赤は赤

 飼い犬を放してやるために、よく裏山に行きます。先だって、赤黒い枝の冬芽は赤黒い色をしている、濃緑の枝の冬芽は濃緑色をしている、という発見をして少し興奮しました。でも、句にできませんでした。さすがです。そのまんまを言えば、それで十二分なんですね。

 

ランドセル開けては閉めて入学子

 一年生〜になった〜ら〜♪ もう楽しみで、楽しみで、仕方ないんですね。イッツ・ソー・キュート!

 

てふ見れば蝶々歌ふ子等であり

 子供は脳の回路がまだ単純だから、見たこと、思ったことを一直線に、そのまま口にしたり行動したりしますよね。そこんとこ、愛すべし、なのであります。

 

 前北かおるさんの序文にある「原家への紙上ホームステイ」を、存分に堪能させていただきました。二人のお子さんを知っていることも手伝い、心がほっこりして、とてものびやかな心地に浸れる、本当に楽しい句集でありました。

 三佳さんは近く、インドに赴任されるとか。

 しばらくお目にかかれないのは淋しいけれど、誌上、WEB上できっとお会いできるのだと思います。今度は僕のまだ見知らぬ国インドで、句上ホームステイさせて下さい。僕は今、とても待ち遠しい気持ちでいっぱいです。

 一路平安。よっきとスースーの、諏訪の小父さんより。

 

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第53回 (平成17年12月9日 席題 火事・枯茨)

富士を見つ小春の海をたのしめり

これは若干主観的な句ですが、どこか湘南あたりの、あるいは房州でも見えるんですけれども、そんな小春の海を静かだなあと思って、見ている。そして、富士が見えていて、喜んでいる。これは僕ら、関東人から見ると、当たり前の景色なんだけれど、日本の全国的な見地からすると、これは決して当たり前の景色ではなくて、関東の独特の景なんですね。裏日本へ行ったら、そんなことはない。そういう点で、面白いと思いましたね。

夜の火事湖水を染めて空を染めて

元の句、「夜の火事湖水を染めて空を染め」。こう言うと、シンメトリックな面白さが生きていないんですね。「湖水を染めて空を染めて」と字余りにすると、そのシンメトリーの並列した面白さが出る。それを字数を気にして、原句のようにしてしまうと、その面白さが出ない。この句は「夜の火事」というのが、よく生きていますね。どこかの湖で、夜の火事をご覧になったことがあるんでしょう。夜の火事の方がこわいですね。燃えた方にはわるいんですが、きれいな句です。

火事あとの何時通っても更地なる

元の句、「何時通っても更地」。字足らずより、「更地なる」と、「なる」をお入れになった方が、よろしいんではないですか。面白いですね。火事があって、「ああ、大変。あそこ火事があったそうだ。」そのうち整地をして、蛇口が一つあるくらいで、更地になっている。いつか建て替えるんだろうとなんて言っても、いつまでも更地のまま。きっと、火事になって、いろいろと揉めたり、駐車場にしようかという案が出たり、うまく行っていないんだろう。火事跡を詠みながら、火事跡をめぐる人間模様まで見えるような「あの家、どうしてしまうのかしら」という感じがあって、面白いと思いましたね。

枯色の朴葉も無人スタンドに

「無人スタンド」で、はたしてお百姓さんがやっている、ほうれん草百円、大根百円ていうのがありますね。それと言えるかどうか、ちょっと不安はありますが、普通なら野菜を売っているのに、何と朴葉を十枚くらい、まとめて売っている。こんなの、売れるのかしらと思いながら、通ったという、そんな近郊農村の姿が見えてきました。

片方になりし手袋捨てがたく

いいですね。いろんな解釈ができて、まだなくなっちゃったばかりだから、出てくるかもしれないという気持ちのある無念と、実はその手袋は思い出があって、誰々からもらった手袋であるとか、そんなことがあって、わかっているけれども捨てられない。どちらで解釈しても、こういうことはよくあることで、面白いと思いました。

渋谷句会がありました。英

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昨日、1月10日、渋谷句会がありました。兼題は「羽子板」と「冴ゆる」。どちらも難しい兼題でした。前者は連想の幅が極めて狭く、似たような句が出来やすく、一方後者はどんな内容でも、一見それらしく出来上がって見える。季題研究のレポーターは桜井耕一さんと馬場紘二さん。羽子板と羽子板市は別の季題と桜井さん。冴ゆると冴え返るは別の季題と馬場さんから実作注意がありました。ところで、虚子編新歳時記では何故「冴ゆる」と連体形で立項されているのか、との疑問が児玉和子さんから出されました。確かに不思議、「冴ゆ」としたいところですね。英

池袋句会。(前北かおる)

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 今日は、池袋句会がありました。兼題は、「淑気」と「冬苺」でした。不在投句を含めて13人が参加しました。  次回からは、東京芸術劇場に会場を戻します。同時に、締切時間を15分早めて19時15分にします。少し便利になりますので、是非ご出席ください。   凍りつつ残れる雪や冬苺 かおる