花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第53回 (平成17年12月9日 席題 火事・枯茨)

富士を見つ小春の海をたのしめり

これは若干主観的な句ですが、どこか湘南あたりの、あるいは房州でも見えるんですけれども、そんな小春の海を静かだなあと思って、見ている。そして、富士が見えていて、喜んでいる。これは僕ら、関東人から見ると、当たり前の景色なんだけれど、日本の全国的な見地からすると、これは決して当たり前の景色ではなくて、関東の独特の景なんですね。裏日本へ行ったら、そんなことはない。そういう点で、面白いと思いましたね。

夜の火事湖水を染めて空を染めて

元の句、「夜の火事湖水を染めて空を染め」。こう言うと、シンメトリックな面白さが生きていないんですね。「湖水を染めて空を染めて」と字余りにすると、そのシンメトリーの並列した面白さが出る。それを字数を気にして、原句のようにしてしまうと、その面白さが出ない。この句は「夜の火事」というのが、よく生きていますね。どこかの湖で、夜の火事をご覧になったことがあるんでしょう。夜の火事の方がこわいですね。燃えた方にはわるいんですが、きれいな句です。

火事あとの何時通っても更地なる

元の句、「何時通っても更地」。字足らずより、「更地なる」と、「なる」をお入れになった方が、よろしいんではないですか。面白いですね。火事があって、「ああ、大変。あそこ火事があったそうだ。」そのうち整地をして、蛇口が一つあるくらいで、更地になっている。いつか建て替えるんだろうとなんて言っても、いつまでも更地のまま。きっと、火事になって、いろいろと揉めたり、駐車場にしようかという案が出たり、うまく行っていないんだろう。火事跡を詠みながら、火事跡をめぐる人間模様まで見えるような「あの家、どうしてしまうのかしら」という感じがあって、面白いと思いましたね。

枯色の朴葉も無人スタンドに

「無人スタンド」で、はたしてお百姓さんがやっている、ほうれん草百円、大根百円ていうのがありますね。それと言えるかどうか、ちょっと不安はありますが、普通なら野菜を売っているのに、何と朴葉を十枚くらい、まとめて売っている。こんなの、売れるのかしらと思いながら、通ったという、そんな近郊農村の姿が見えてきました。

片方になりし手袋捨てがたく

いいですね。いろんな解釈ができて、まだなくなっちゃったばかりだから、出てくるかもしれないという気持ちのある無念と、実はその手袋は思い出があって、誰々からもらった手袋であるとか、そんなことがあって、わかっているけれども捨てられない。どちらで解釈しても、こういうことはよくあることで、面白いと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください