月別アーカイブ: 2013年1月

ロシア婦人のごとく大柄鶏頭花 道子 (泰三)

 1月ももう終わりですね。新年会で多くの人に会えますことを楽しみにしている泰三です。皆様はいかがお過ごしですか。

 季題は、鶏頭で秋。花の色形が鶏冠に似ているためつけられた名前である。虚子編歳時記には、

 人の如鶏頭立てり二三本 普羅

 の句があるが、頭でっかちな花で、なるほど人の様にも見える。

 この句は、鶏頭がロシア婦人のようだ、しかもロシア婦人のように大柄だと見立てる。ビロード状の花びらはいかにもロシア婦人が着ていそうな服に見える。そして鶏頭のすっくと伸び咲く様は大柄というに相応しい。鶏頭がウォトカを呑んでも酔っぱらいもしない、そんな花に見えてきた。

原三佳『赤と青』鑑賞 (原昇平)

原三佳『赤と青』鑑賞 原昇平

 原三佳さんの句集『赤と青』を拝読した。自跋で「細々ながらも俳句を通じて日々を写し取っていくこと」の貴重さについて言及されている。(多くの方が首肯されると思うが、私もまったく同感である。)そうした日々のなかから編まれた本句集で最も印象に残った一句を挙げるとすれば、「風花のそれと気がつくまでの空」であろう。2012年の「夏潮」新年会での出句で、当日の句会でも好評句であったと記憶している。集中で改めて拝見して、本句集の代表句(の一つ)という感を強くした。「風花」の句を含め、印象深かった句をいくつかご紹介したいので、しばらくお付き合いいただければと思う。

 

大小の麦稈帽が庭仕事 三佳

季題は「麦稈帽」。休日の庭に親子がいる。庭木の手入れなのか、草むしりなのか、家庭菜園の水やりなのか、揃って麦稈帽をかぶっての庭仕事。「が」という助詞が、心理的な距離を「近く」し、句に動きを与えている。「麦稈帽の」とすると、客観的に叙した印象になり距離感が生まれる。また、「の」の場合は下五の「庭仕事」は名詞であるが、「が」とすると「をしている」を省略した動詞になり、一句全体に動きが出てくる。

 

熊避けの鈴の音吸うて山眠る 三佳

季題は「山眠る」。紅葉の時期を過ぎた山に登る。登山客はほとんどおらず、しばらくは誰ともすれ違わない。登るにつれて気温は下がり、熊避けに身につけている鈴の音は、山に吸われて消えてゆく。「吸つて」ではなく「吸うて」という措辞が、山の眠りを妨げないようにしている。

 

つなぐ手もつながるゝ手も悴める 三佳

季題は「悴む」。どうにも寒くて手が悴む。手をつなぐと、わが子の手も悴んでいる。「つながるゝ手」という表現から幼い子の小さな手が見えてくる。「悴む」というのは自身の感じる身体の「動かなさ」であり、例句としても「自の句」が多く、一方、「他の句」のなかには悴みを想像で詠んだという印象の句がある。掲出句は、自らの手とともに子の手の悴みも詠んでいる「自他半の句」であるが、手をつなぎ、手袋越しではなく直接に触れ、子の手のほうが冷えていると感じ、自らと同じように悴んでいることに気づいたという、実景が詠まれている。

 

風花のそれと気がつくまでの空 三佳

季題は「風花」。よく晴れた冬の日。何か、肌に触れるものがある。空を見上げると雪片が舞っていた。風花なのだと気づく。風花の舞うまでの空を叙すことで、風花を風花と認識するまでの「一瞬」の過程を詠んだ句。現代語的、あるいは口語的な叙し方が風花に辿りつくまでのゆるやかな思考の流れを、また、中七から下五での「句またがり」が風花に気づくときの心理的な動きを感じさせる。情緒に流れがちな季題と距離感を保ちつつ情感を失うことなく詠みとめ、俳句では使うことの少ない代名詞をも無理なく用いた、特筆すべき一句。

 

春の朝乳歯ぽろりと抜けにけり 三佳

季題は「春の朝」で「春暁」の傍題。「朝」は、夜の気配の残る間(あわい)の時ではなく、日が昇り、活動の始まる時間である。朝の支度をしていると、起きてきた子が、歯が抜けたという。抜けた歯は、屋根の上か縁の下に投げられるのだろう。成長を確認する季節としての春の一句。

 

 最後になるが、ほかに鑑賞したかった句を記して結びに代えさせていただく。

 

『赤と青』抄 (原昇平選)

山梔子のゆるびすぎたる花弁かな

朝顔の赤は妹の青は僕の

産土の稲穂神社よ秋日濃し

ゆつたりと奏づるごとくスキーヤー

人怖ぢをせぬ鳩とゐて春の午後

夏蝶にハーブの花の細かすぎ

掃き寄せてまた木犀の香るかな

賽銭にどんぐり混ぢる地蔵かな

薄氷をぱりと踏むぱりゝんと踏む

庚申塔馬頭観音里の春

(原昇平 記)

寒凪。英

2013-01-28_103152.jpg

穏やかな、寒の凪です。今日は一日家。沖に出る時間はありません。昨日、夏潮二月号発送。早い地域では、もう今日届いているかも知れません。春はもうそこまで来ています。お風邪など召しませんよう、ご健吟下さい。英

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第58回 (平成18年1月13日 席題 竜の玉・寒釣)

立ち並ぶビルの谷間に竜の玉
この句、いい句ですね。ビルを建てますと、かならず高さに比例して、まわりの土地を公共の為にしないといけないというのがあるようで、高いビルほど、まわりが広々としておりますね。そこに木立をうえたり、竜の鬚は強い草なので、ビルの空き地によく植えられていますね。そんな現実をよく踏まえた、いい句だなと思いました。
七種や誦じつつも見分けえず
どなたかなと思ったら、○○さんだったんで、なるほどと。皆、すずな、すずしろと言えるんだけれど、どれがどれだかわからない。
願ぎごとの互ひに同じ初詣
この句、うまいのは、「互ひに同じ」。初詣で、そう言えるのは、夫婦か恋人かでしょうね。そうすると、願ぎごとの内容も、お子さんのこととか、自分たちの将来のこととか、そういうほのぼのとした男女の絆というものが、句の背景にあるように思われました。
姫請ひし竜の玉とぞ藍深く
竜の玉というところに俳諧的興味を持って、たとえばかぐや姫が貴公子達に請うたもの、「竜の玉」。「え、こんなものかしら。でも、言われてみれば、この藍の深さは姫の請うものにふさわしいな。」そういう、竹取物語みたいな話を換骨奪胎しながら、眼前の竜の玉の美しさをそういう方向から表現してくる、それも新しいやり方ですね。こういう空想的な句を、この作者もお作りになるようになったことを、嬉しく思います。俳句は眼前の写生でいいんだけれど、空想的な句がないと句が痩せてきます。実は虚子にもたくさんあります。「仲秋や院宣を待つ湖のほとり」とか、歴史物語みたいなものが背景にありそうな俳句がたくさんあるんですけれども、現代俳句というのは、眼前の写生力をぐーっと突き詰め過ぎてしまうと、句が痩せてくる心配があります。いつもこういう空想力は忘れないでいたいものだなと思います。
雪吊や縄のゆるめる三四本
●●さん、(不在投句なのででこの場に)いらっしゃらないから、言ってもしょうがないんですが、出す前にもう少し句を磨いてほしい。掲句でもわかるんだけれども、「雪吊やゆるめる縄も三四本」とすれば、もっと景が見えてくる。句を出す直前にもうちょっと最後の一つをやって欲しいと思いますね。自分の句を引き合いに出すのは恥ずかしいけれど、「つき出せしグーをほどけば竜の玉」。最初は「つき出せしグーを開けば」だったんです。最初は。「開けば」というと、普通に開いてしまう。「ほどけば」と言うと、一本ずつの感じになって、握りしめている手が見えるだろうと思って。最後の最後、もう少し何かないかなと。表現はある一様の表現までは行くんですが、一様の表現まで行った後、もう一回句をみて。これも、「ゆるめる縄も三四本」とする、出句直前の余裕が欲しいように思われますね。

原昌平『夏暖炉』鑑賞 (原昇平)

原昌平『夏暖炉』鑑賞 原昇平

原昌平さんに初めてお会いしたのは、1998年の秋、千葉の鎌ヶ谷で梨狩りをした吟行会でのことであったと記憶している。インドに赴任中の同姓同名の先輩がいらっしゃると伺ってから1年半ほどして、ようやく「初代」にお目にかかり、それ以来、句会や吟行会でご一緒させていただいている。

これも「私の記憶では」ということになるが、集中の「田作の互ひ違ひに重なりて」は逗子の本井英先生のご自宅での新年句会の際に出句されたものだったかと思う。その当時、「俳句とはこういう事柄を詠むこともできる文芸なのか」、という感想を持ったことを思い出した。

(いずれも記憶違いだとしたらご容赦いただきたいのだが、)そんなことを考えながら『夏暖炉』を拝読し、印象深い句をいくつか鑑賞させていただいた。

 

夏暖炉会話途切れることもよし 昌平

季題は「夏炉」。本句集名のもとになった一句。避暑に訪れたロッジでは暖炉の火がゆっくりと燃えている。暖炉を囲みながら話題は尽きないが、気づくと会話が途切れていた。しかし、「気まずさ」を感じさせない沈黙というものがあり、そんな夜がある。

 

風鐸を鳴らしそめたる春の風 昌平

季題は「春の風」。仏堂なのか仏塔なのか、訪れた寺院に春の風が吹く。風鈴ではなく風鐸なので、実際には少し強い風なのだろう。しかし、単なる強風ではなく穏やかさが感じられる。それが春の風であり、俳人なのである。夏や秋、冬とは異なる、春に特有の風鐸の音色が聞こえてくる。

 

小春日の日本の空に帰り来し 昌平

季題は「小春日」。帰国便の機内でアナウンスが流れ、航空機が着陸態勢に入りつつあることが知らされる。窓から見える日差しは小春日。「機」や「便」という表現を用いずに詠むことで、一句の印象をやわらかく、穏やかなものにしている。機上から帰国を詠んだ句には「凍月に機首向けにけり帰国便」もあるが、こちらは航空機自体を詠んでおり、「凍月」によって機体のシルエットが夜空に浮かび上がる景が見えてくる。

 

秋の低く啼きゐる島の果て 昌平

季題は「秋の蟬」。訪れた島はさほど大きくはないのであろう。島の人々が暮らす地区を外れ、島を巡ってゆく。ひと気のない、島の「果て」に辿りついてみれば、すでに日は傾きはじめ、そこでは、決して高いとは言えぬ調子で秋の蝉が鳴き続けていた。蝉の声が「低」いのは、あるいは詠み手の心象だったのかもしれない。しかし、声の低さは「秋の蟬」の本意、本情の一つと言えよう。本句集には島が詠み込まれた句が多く収められており、作者の作句における「島」への関心の高さを窺わせる。

 

亀掻けば亀に従ふ春の水 昌平

季題は「春の水」。庭園、あるいは少し広い公園であろうか。池の亀がゆっくりと水を掻く。掻かれた水は波紋を生み、ゆっくりと広がる。水の抵抗などないかのように亀は泳いでいる。上五中七の「亀」の繰り返しに、春の水のゆるやかで素直な動きが感じられる。川では流れがあるので水は「亀に従」わない。

 

 最後になるが、ほかに鑑賞したかった句を記して結びに代えさせていただく。

 

『夏暖炉』抄 (原昇平選)

雨上がる四温の始め兆しつゝ

田作の互ひ違ひに重なりて

絵葉書を書いてゐる妻旅夜長

振り向けばタージ小春の日の中に

新しき家新しき暦掛け

ものの芽の赤みがかつて解けなんと

東京の西の外れの余寒かな

子等の手にかゝり薄氷散りぢりに

ごぼぼともこぽぽとも鳴り春の水

手をつなぐことなく向かふ入学式

(原昇平 記)