日別アーカイブ: 2011年9月13日

第零句集、新コンテンツ(昌平)。

月曜担当のはずが、サボってしまった管理人です。

第零句集第一号、藤永貴之さんの『鍵』の紹介記事を祐之さんに書いていただきましたので、掲載しました。今後、毎月発行される第零句集について同様の記事を掲載してまいりますので、乞うご期待。

主宰による花鳥諷詠心得帖の連載が終了しました。「夏潮」以前の記事ですが、毎日読み返してみるとさまざまな発見がありました。まだお読みでない方は是非一つ一つお読みください。

新サイト開設後、これまでは花鳥諷詠心得帖を中心に毎日更新を続けてきましたが、当面の間、毎日更新は「汐まねき」に譲ることとして、「心得帖」の後続企画、句会における主宰の生の句評をお届けするコンテンツを準備中です。日々少しずつ掲載予定。お楽しみに。

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.1」 藤永貴之『鍵』

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.1」 藤永貴之『鍵』

「夏潮第零句集シリーズ」が始まった。記念すべき第一巻は、雑詠及び英主宰の鑑賞取上げ回数から、私が勝手に「夏潮Big4」と呼んでいる一人、藤永貴之氏。

 昭和四十九年福岡県生。平成六年に「慶大俳句」入会し、「惜春」「夏潮」に所属。平成二十二年の第二回「黒潮賞」受賞者(第一回も準賞)。 藤永貴之は静寂の詩人である。その句の特徴は季題が働きかけてくるまでじっと会話し、自分の主観と言葉が一致するまで妥協しない厳しさから生れてくる詩情である。

 また、彼の句には「間」の取り方についての創意工夫が見られる。

 我々の句風というのは、「二句一章」ではなく「一物仕立」と呼ばれることが多く、どうしても上五から下五まで「ストン」と詠まれることが多い(取って付けた様な切字「かな」「けり」の用法)。その中で、藤永貴之は時間の使い方、「間」の使い方に工夫が見られる。「間」を取ることで作者が季題に接していた長い時間の様子を作者に投影することが出来る。

 この句集のP6「腰掛けて眺むる人も冬桜」から、P8の「地を打つて魂抜けし霰かな」まで11句、「て」「で」で軽く切り「間」を取る句が並んでいる。

 逆に言うと「瞬発力」で詠んだ俳句と言うのは非常に少ない。それは藤永貴之の人柄にも非常に影響していることであろう。

 全体の詠み振りが大人しい俳句ばかりである。季題とじっくり交感するのが藤永の特徴であるが、お酒を飲んで我を失ったり、ロックのバンドで活躍するのも藤永の一面である。内面に滾る熱い思いを句にどうやって表現していくか。

 大学在学中、卒業後と色々回り道を歩んでいたが、福岡で女子高校の教師としての職を得、家族も得たいま、藤永貴之がこれからどのように季題に向かい、我々に見せてくれるか楽しみにしたい。

『鍵』抄 (杉原祐之選)

立冬と書くや白墨もて太く 貴之

後手をついて一ト息薬喰

茎立のめでたくも花咲きにけり

魞挿すや湖は晴山は雪

芍薬の芽の鉗(ツグ)めるに雨の絲

さみだれやタクシーの待つ楽屋口

青柿や俳句に作りごと要らず

抽斗をひけば聖書や夜の秋

アスファルトに出てしまひたる葛の尖

教会といふバス停も島の秋

(杉原祐之 記)

関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-671.html


藤永貴之近影”

藤永貴之近影

藤永貴之インタビュー

質問: 1)100句の内、ご自分にとって渾身の一句は?

→渾身の一句はないので、かわりに、いま好きな一句。

「家の灯の遠くに点り鶴の村 貴之」

2)100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込みは?

→自分らしくない句を沢山作りたい。

3)100句まとめた感想を一句で。

→「大群の鰯のかほの一つ一つ 貴之」

花鳥諷詠心得帖44 三、表現のいろいろ-19- 「前書・詞書二」

前書付きの俳句、続き。

    鎌倉
秋天の下に浪あり墳墓あり 虚子

「鎌倉」との前書に、虚子の思いが込められている。虚子が育ったのは伊予松山郊外の西の下。虚子の「露のわれ」という写生文に

「海岸と言ふものは凡て白砂青松で、海と言うものは眠るが如く穏かなもので、潮は透き通るやうに美しいものであると心得て居たのが(中略)鎌倉の大きな波やを見るやうになつて、私の天地は幾変化したのであつた」
とあるように、瀬戸内海には「浪」、少なくとも鎌倉を襲う土用波の如き「浪」は無い。「墳墓」はおそらく頼朝のそれなどを頭に描いているのではあろうが、ともかく、前書を欠いては、虚子の半生を振り返っての感慨は全く伝わってこない。

ところで、例えば『五百句』には一句一句、成立の時期や出句された句会名などが添えられていることを前稿でふれた。それらを筆者は「詞書」と呼び慣わしている。『古今集』などのそれに倣ったつもりだが、時にその「詞書」が、これまで紹介してきた「前書」に匹敵する情報、おそらく必須の情報を含んでいる場合もある。

飛騨の生れ名はとうといふほととぎす 虚子
    昭和六年六月二十四日 上高地温泉ホテルにあり。
少婢の名を聞けばとうといふ。

「昭和六年云々」以下が筆者のいう「詞書」である。この句など、この詞書がないと、「とう」がどんな人物だか不明だ。まさか馬や犬には「飛騨の生れ」とは言わないであろうから、「人」であろうとは思う。それが少婢の名と判れば、飛騨から上高地の温泉宿に稼ぎにきている少女の淋しいような境遇が 自ずから読者にも想像される。

しかも次の、

火の山の裾に夏帽振る別れ 虚子
     昭和六年六月二十四日 下山。 
とう等焼岳の麓まで送り来る。
の句と詞書によって紀行文の一部のようなパノラマを見るような気分になる。
子の日する昔の人のあらまほし 虚子
      昭和八年四月十九日 大磯一本松、中村吉右衛門別邸に行く。
安田靫彦の意匠になるといふ庭に昔絵に見るが如き稚松多し。
「子の日」は「小松引き」のこと。正月の行事だ。それを四月に「心に描いた」わけだが、詞書を読めば納得出来る。つまりは吉右衛門別邸の庭への「挨拶」だ。「安田靫彦の意匠」と詞書に記したことによって、読者の脳裏には靫彦流の画面構成、筆致までが想起される。実景を詠みながら、理想画を描いている。