日別アーカイブ: 2011年9月7日

池袋句会。(前北かおる)

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 今夜は、池袋句会でした。兼題「刈萱」「西鶴忌」または雑詠で7句出句、出席者は12名でした。

 雑詠で構わないのですが、常連出席者は難しい兼題に挑戦するのを楽しみにしているようです。今日の「刈萱」も、雑草のような草でありながら、中世以来の物語にも連なる題で苦労しました。

  刈萱や畑も山も捨てられて  かおる

 次回は10月5日(水)、兼題は「稲」と「小鳥網」です。どなたでもご参加いただける句会ですので、お気軽に会場にお越しください。

虚子勉強会へのお誘い( 英)

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今日の昼間は虚子勉強会でした。今日から新しいテキストでした。虚子が大正元年に国民新聞に連載した小説「女七人に男一人」。虚子の女性描写がなかなか鋭いです。後半になると、サスペンスになります。第二回は来月の5日。場所は池袋、午後2時から、4時まで。豊島区勤労福祉会館。会費は千円です。興味のある方は是非ご一緒に読みましょう。テキストは私が用意します。夏潮会までご連絡下さい。

花鳥諷詠心得帖38 三、表現のいろいろ-13- 「 切字(用言の終止形)」

いくつかの「切れ」を検証してきたが、用言の「終止形」も当然「切れ」を表す。

霜降れば霜を楯とす法の城 虚子
は「す」というサ変動詞の終止形ですっきり切れているし、
我心或時軽し罌粟の花 虚子
は形容詞の終止形「軽し」で切れる。

こうした「終止形」の切れは『五百句』中に動詞、六十二例。形容詞、二十三例。
数量的には「や」・「かな」に次ぐ数の多さで、切れの定番とさえ言える。
「や」・「かな」・「けり」のように目に見えやすい形はしていないが、「切れる・切れない」という観点からは
存外重要だし、現実の推敲場面などでは連用形、連体形といった選択肢もあり、微妙な問題だ。

例えば前掲の、「法の城」の場合、
霜降れば霜を楯とし法の城
という形も表現的には成立する。
しかし、その場合は、「霜が降っているからして、その霜を楯として、法の城を」、「守らんとす」の
「守らんとす」が省略されたものとして一句は表現されている。
原句では「霜が降っているからして」、「我は霜を楯とする」、「この法の城を守るために」となる。
どちらも成立するものの、流石に「霜を楯とす」のシャープな「切れ」は、「法の城」を視覚的にも屹立させて
見事である。

同様の中七が動詞終止形で切れて、下五が名詞あるいは名詞句となるパターンは少なくない。
船に乗れば陸情けあり暮の秋   虚子
目つむれば若き我あり春の宵   々
ほつかりと梢に日あり霜の朝   々
栞して山家集あり西行忌   々
土佐日記懐にあり散る桜   々
飛騨の生れ名はとうといふほととぎす 々
倏忽に時は過ぎ行く秋の雨 々
顔抱いて犬が寝てをり菊の宿 々
白雲のほとおこり消ゆ花の雨 々
奈良茶飯出来るに間あり藤の花 々

ところで、これらを見て面白いことに気付かれた方もあるだろう。
十句中七句が「あり」「をり」の、所謂「ら変動詞」であることだ。
それに九句目の「消ゆ」を加えた八例は、動詞の終止形と連体形が異なる形をしている。
つまり、「終止形」が際だって、はっきり「切れる」のだ。
残りの「飛騨」と「倏忽」は内容から終止形でなくてはならないが、四段動詞などは
実は終止形と連体形が同型であるために、「切れ」ているのか、「切れ」ていないのか
判然しない場合が少なくない。その辺りを次回は考えて見よう。