季題は「桐の花」。「桐は高いのは三十尺くらいに達するものもある。五月頃其枝の先に穂を為して筒状の淡紫色の花をつける 。其落花も美しい」 と歳時記は解説する。立子に「電車今まつしぐらなり桐の花」がある。鎌倉から東京に向かう横須賀線が、現在の東戸塚を出て、トンネルを潜り、一気に下って行く辺りに「その桐の木」はあった。下り勾配で横須賀線は素敵に加速しながら右に向かって大きくカーブを切る。その丁度「焦点」に当たる辺りに件の「桐の木」はあった。すっと屹立した「桐の木」は目立っていた。或る時、立子先生に、「この句、あそこでしょ」と伺ったことがあった。先生はにっこり微笑みながら、「そう」と応えられた。この「桐の木」もそうした、皆が知っている「桐の木」に違いない。大分離れた距離からも花の「薄紫」はそれと見えているのだ。徒歩だか、自転車だか判らないが、その木から目を離している間も、作者の心の中には「その色」が灯っている。「桐の花」の持つ気品のようなものが漂っている。(本井 英)
「潮騒を聴きながら(雑詠句評)」カテゴリーアーカイブ
花筏淵に身動きとれぬまま 北村武子
季題は「花筏」。桜の花弁の一ひら一ひらが、水面に散り込んで、丁度「筏流し」の如く連なって流れている状態である。そう言えば「筏流し」こそ、絶えて見なくなった「日本の景色」の代表かもしれない。日本中で営まれていた「林業」。その木材のほとんどは「筏」に組んで「川」を運ばれた。いまや山水画でしか目にすることのない「筏流し」が日本中のいたる処で行われていたのだ。その「筏の景」に準えた「花筏」なる季題の何と洒落ていたことか。ところで掲出句の「花筏」は、それほど楽しそうでもない。流れのない「淵」に溜まってしまった「花筏」は、すっかり「身動き」が「とれぬまま」である。気持ちのよかった季題が、すっかり憂鬱な景となってしまっている。こうした処が「客観写生」の妙。「綺麗、綺麗」、「素敵、素敵」ばかりではないのである。俳句は読み手の状況で、さま〴〵に受け取られる。筆者の現状(入院先の病床で、この原稿を書いている)からは、「本当に、そんな感じ」と共感してしまう。桜花の仕舞いどきの、やゝ「ダル」な景ではあるが、捨てがたい「景」には違いない。(本井 英)
たんぽぽの丈の低 さも浜の宿 山内裕子
季題は「たんぽぽ」。「鼓草」ともいう。どちらも子供の遊びから生まれた言葉。昔の子供は大人が拵えた「玩具」などとは縁が薄く、その辺の「野っ原」に生えたり、実ったりする草木を「おもちゃ」にしていた。筆者の世代はやや特殊。敗戦の影響で、さらに「玩具」の払底していた時代で、兄や姉の「よき時代」にはあった「玩具」も全く無かった。筆者が大事にしていた「自動車のおもちゃ」は父が使わなくなった「紙巻き煙草を、まく道具」だった。それしか「くるくる廻るもの」が無かったからだ。
閑話休題。一句の味わい処は「浜の宿」。大切なところは「海の宿」ではない点。「海の宿」なら「海辺の旅館」ほどの意味で、熱海でも白浜でも勝浦でも、つまり「海」に近い「宿」。所謂、老舗旅館・高級旅館なども念頭に浮かんでくる。しかし「浜の宿」と言われると一寸違う。なんとなく砂浜に近い、あるいは砂浜から自然と旅館の庭に通じてしまうような、旅館とも言えるし、民宿のような佇まいも目に浮かぶ。海水浴客を当てにしたような、「気さくな」宿だ。そんな「宿」の砂混じりの、平坦な「庭」に「たんぽぽ」が咲き始めた。まだ閑散として客の姿は見えないが、やがて夏休みにもなれば、子供達の歓声も聞こえてくるのであろう。(本井 英)
本土より四国山地や初明り 梅岡礼子
季題は「初明り」。「元旦、東天の曙光である」と「歳時記」は解説する。「曙光」は『広辞苑』では「①夜明けのひかり。暁光。②暗黒の中にわずかにあらわれはじめる明るいきざし」と記す。因みに『新明解国語辞典』では「まっくらな中に見え始める、夜明けの光」とあり、東の天空には、既に「明るさ」が漂い始めていながら、地上には未だ「闇」が蟠っている状態であることが判る。季題「初明り」については、筆者も従来「初日の出」と大して変わらないような印象を持っていたが、大いに間違っていた。つまり作者は闇の中に佇立しながら遙か彼方、暗黒の「四国山地」を望みつつ、天空に兆し始めた曙光に心奪われているという状態なのである。さてこの句の問題は「本土」なる措辞。これも辞書的には「植民地と違って、その国の産業・経済・行政上の中心となる国土」の謂となり、我々の脳内には「本土決戦」とか「本土復帰」といった言葉が交錯する。即ち「四国」は立派に「本土」そのものであり、「本土より」眺められるべき存在ではない。それを言うなら「本州」(日本列島中、最大の島としての)より、とすべきところである。ある意味では明らかな言葉の「誤用」がある訳で本来なら鑑賞の対象たり得ない句、ということになる。しかし、どこかこの句が筆者を惹きつけた。それは何故か。それは「四国」という地方に対する、なんとなく抱く印象に「本州」とは何か根本的に異なるものを感じているからに違いない。それは現代に於いてというより、日本の「古代」に於ける地域感覚を想像しているからかも知れない。四国と言っても瀬戸内海に面した地域は、九州と大和とを結ぶメインルートとして、如何にも「開かれた」感じを漂わせているのだが、その南に聳える「四国山地」から土佐にかけての地域には文化的にも大きな「隔たり」を筆者は感じてしまう。古代の日本を考える場合、現在のような「北」を上にする日本地図は不向きで、むしろ「南」を上にする地図の方が、「大陸」との相対関係が判り易い。つまり「山陰地方」は大陸に向いた「玄関」側、そして「四国山地」の南方は、「奥のまた奥」となる。そんな「古代人」のような感性をもってこの句を再読してみると、「本土」と「本州」の誤用も含めて、「ある感じ」を伝えてくれる。しかも「初日」ではなく「初明り」であることにも摩訶不思議な、何か恐ろしい「未知」のようなものまで感じることが出来る。語句の誤用を許容して良いかどうかの問題は、一旦脇に置いて、気になる句であったし、ともかく「景」が見えた。(本井 英)
在宅の仕事納めの静かな日 藤森荘吉
季題は「仕事納め」。『虚子編新歳時記』、『ホトトギス編新歳時記』共に、「御用納」はあるが「仕事納め」は季題として立てていない。角川『俳句大歳時記』では「御用納」の傍題として立項、例句として宮坂静生の<揺れゐたり仕事納めの弥次郎兵衛>の一句を掲げる。「御用納」となれば官公庁、あるいは古くは朝廷、幕府での業務を納める日。民間あるいは武家でない者が使うのはやや憚られたものであろう。そこで自然と「仕事納め」という言葉が使われ始めた、と思われる。一句の味わい処は「在宅の」。普通に「家に在る」の謂で永らく使われてきた言葉で、「在宅起訴」などという物騒な言葉もある。ところが近年の「コロナ騒ぎ」から「在宅勤務」が大幅に導入され、多くの勤め人達が、無理に通勤しない状態が広まってくると、一つの「暮らし方」として認知されるようになり、掲出句などの状況も誠に納得のいくものとなった。全員が通勤していた頃、「仕事納め」となれば、気心の知れた同志で「一杯やって」から家路に着くのが、当たり前だったものだが。静かにパソコンの電源を切って「終わり」という事になるのであろう。「静かな日」という表現に、一日の静けさも思われて、「令和の句」であると実感させられた。季題に随順した健全な人生を思った。(本井 英)