妻逝きて物音しない夜長かな  田中金太郎

 季題は「夜長」。代表的な秋の季題だが、「夜学」、「夜業」などの季題から考えても、物理的な「夜」の長さを、前向きに捉えた同系季題が少なくない。落ち着いた「静かさ」を肯定的に考えたものが基本なのであろう。しかし、この句の場合はそうでも無い。一つの「家」という空間に二人で暮らしていた頃には、何気なく耳にしていた「妻のたてる音」を安心の「糧」としていた。その「物音」がプッツリと喪失された。居たたまれないような「不安」が、「夜長」という季題の中に充満している。その耐え難さはご本人以外には、なかなか想像が及ばない。もう一つ、この句の特徴は口語である。普通の文語文脈なら、「物音のせぬ」あるいは「物音もせぬ」とあるべきところだが、作者は敢えて「物音しない」と表現した。一見、不束な表現にも見えるが、実際に音に出して読んでみると、そこに何とも若干の「甘み」を含む「悲しみ」がゆらめいてくる。そこにこそ「妻」への、切ない思いが、感ぜられる。(本井 英)

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