投稿者「泰三」のアーカイブ

ふらここを宙返りせんばかり漕ぐ 美恵子 (泰三)

夏潮8月号雑詠欄より。

季題は「ふらここ」、ブランコの事。「鞦韆」(しゅうせん)の傍題で春の季題である。ブランコなんて年中あるのであるが、角川俳句第歳時記には、「紀元前七世紀、中国北方の異民族から輸入されたものという。異民族の間では、寒食の節(冬至から105日目)の日に鞦韆に乗って遊ぶという風習があった」と解説される。

さて、この句。ふらここなんて懸命に漕いだところで何のためになる訳でもない。しかし、漕ぎ出すとムキになって誰よりも高く、そして、いつもよりも高く、まさに「宙返りせんばかりに」漕ぎたくなってしまう。春の陽気の中を行ったり来たりしている元気なふらここの姿が目に浮かぶ。

校庭の桜吹雪や授業中 好子 (泰三)

「夏潮 8月号」雑詠欄より。

季題は桜で春。桜吹雪とは、桜の花びらがあたかも吹雪のように舞っているかのような様を言う。時代劇遠山の金さんの刺青でお馴染みであろう。

さて、この句。たいていどこの校庭にも桜は植わっており、「校庭の桜吹雪や」までは特に面白味は感じられない。しかし下五で「授業中」と時間が区切られたことで、一気に想像力を刺激される句となった。授業中であるならば、本来教室の中で行われている授業に集中するべきであろう。

しかし、この一人は、授業ではなく、校庭の桜吹雪が気になって仕方がない。教師ではなく、窓の外ばかり見ている。また授業中であるので、校庭には人影はない。だだ広い校庭を桜吹雪が吹き荒れている、そんな景色が目に浮かんだ。

素魚の笑顔と見えてまた悲し 百舌鳥

夏潮6月号 雑詠より 季題は、素魚(シロウオ)で春。角川歳時記の白魚(シラウオ)の項で「踊り食いするハゼ科の素魚とよく混同されるが別種」と説明されているとおりサケ目シラウオ科の魚である。 素魚の体は透き通っており、目の黒さが印象的である。その顔があたかも笑っている様に見え、作者は愛らしく思った。しかし、その刹那、悲しさを覚えた。なぜなら、その素魚を自分が今から食べるからである。 そもそも、私たちは、牛や馬や豚や何やら、生きているものを見て、可愛い、愛らしいと思っても、旨そうだとは思わない。 踊り食いという食べ方が、この句を生んだのだろう。