ふらここを宙返りせんばかり漕ぐ 美恵子 (泰三)

夏潮8月号雑詠欄より。

季題は「ふらここ」、ブランコの事。「鞦韆」(しゅうせん)の傍題で春の季題である。ブランコなんて年中あるのであるが、角川俳句第歳時記には、「紀元前七世紀、中国北方の異民族から輸入されたものという。異民族の間では、寒食の節(冬至から105日目)の日に鞦韆に乗って遊ぶという風習があった」と解説される。

さて、この句。ふらここなんて懸命に漕いだところで何のためになる訳でもない。しかし、漕ぎ出すとムキになって誰よりも高く、そして、いつもよりも高く、まさに「宙返りせんばかりに」漕ぎたくなってしまう。春の陽気の中を行ったり来たりしている元気なふらここの姿が目に浮かぶ。

ふらここを宙返りせんばかり漕ぐ 美恵子 (泰三)」への4件のフィードバック

  1. 岡部憲ビンセント
    初めてコメントする全くの初心者です。「ふらここ」が大きく揺れる風景、懸命な子どもの顔が浮かびます。(ぼくの場合は子どものころよくこいだ印象が強いので)ほほえましいです。先日「匙なめて童たのしも夏氷」という誓子の俳句に触れて同様の感慨をもちました。
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  2. admin
    ありがとうございます。私には不思議と、ぶらんこを漕いでいるのは大人かと思われました。若干鬱屈をはらんだような。でも春の季題として素直に読むと子供が漕いでいる風景が浮かびますね。 鬱屈しているのは私か? (昌平)
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  3. 岡部憲ビンセント
    自分が小学校2年生の時、ぶらんこから飛び降りてどこまで遠くに行けるか競争して、最高記録を打ち立てるとともに頭から落ち、頭をかばった左手首を骨折したことがあります。ぶらんこ=子ども時代ということはそのあたりから来ているのかもしれません。 「漕ぐ」という言葉から詠んだ方自身が(それこそえいやあとストレス解消の意もありつつ)漕いでるのかな、とも思いましたが 浮かんだ風景は公園でどきどきしながら「宙返りしたら怖いけどできたらすごいぞ」と漕ぎまくってる子どもでした。 いろんな解釈があっても楽しいですよね。 私自身これから夏休みで子どもごころに帰って楽しんでこようと思っています。またお邪魔します。
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  4. 泰三
    コメントありがとうございます。ブランコを漕いでいるのが大人か子供かで全然景が変わってきますね。読者によって浮かぶ景が変わることを嫌う人もいますが、僕はそれも俳句の楽しさの一つだと思っています。またどしどしコメントしてください。
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