投稿者「taizo」のアーカイブ

遠き空見ること好きで桐の花 明朗  (泰三)

昨日八千代句会の後、したたかに酔ってしまった為、また更新を怠ってしまった泰三です。

夏潮9月号雑詠より。季題は「桐の花」で夏。5月ごろ筒状の薄紫の花をつける。木の花とはおもえないほど美しい。

さて、この句。作者は、遠い空を見ることが好きであるという。この時もまた、遠い空を見ていた。すると、眼中に桐の花が入ってきた。遠景に空、そして近景に桐の花。とても美しい景色だ。桐の木は背が高い。それ故の景色であろう。

草笛で白雲二つ呼び寄せて 松尾裕子 (泰三) 

残暑のおかげで、まだまだビールを楽しんでいる泰三です。

 「夏潮」9月号雑詠より。季題は「草笛」で夏。葉っぱや茎を口に押し当てて音を出して遊ぶものである。ちなみに我らが英主催は、草笛の名手であられ、吟行会では時々その腕前を披露してくださる。

 さて、この句。草笛で白雲を二つ呼び寄せているという。もちろん、草笛にそんな力はない。実際は、雲が二つ空を流れている時に、草笛を吹いているだけである。しかし作者はそう感じた。遊び心である。時代劇などでは、大捕物の際、呼子笛が「ピー」と鳴って、「ご用だ」などと言いながら同心達がざわざわと集まってくるのであるが、この句は、草笛で雲を呼ぶという。世の中の喧噪を離れた、ほのぼのとした気持ちの良い景色だ。

二輪草が盛んに話しかけてくる 和子 (泰三)

 昨日子供と一緒に8時半に寝てしまい、汐まねきの更新をまたすっぽかしてしまった泰三です。

 「夏潮9月号」雑詠より。季題は二輪草で春。すうと伸びた茎の先に白い花をつけ、群れて咲いている。

 さてこの句。その二輪草が盛んに話しかけてくるという。もちろん、花が話しかけてくるなどということは無いのであるが、あたかも盛んに話しかけてくるかの様に咲いているという事であろう。この句が出されたとき、幸いにも私は句会場にいたのであるが、夏潮以外の結社に所属する方から「夏潮らしくない句に思えた」との句評があった。しかし、やはりこの句もまた写生句であり、二輪草の咲き様を見立てたものと私には思われる。そして、そう言われてみると、二輪草は盛んに話しかけてくるかのように咲いている様に見える。

 

亀ばかり見てゐる子供藤まつり 良  (泰三)

 八月が終わってしまい、いささかセンチメンタルな気分に陥っている泰三です。

 季題は、「藤」で春。山野に自生しているものは、滝のように山を覆い尽くす野性味に溢れているが、この句の場合は、棚に仕立ててあるもの。藤が咲く時期、立派な棚のある神社などでは藤まつりが行われる。大人達はもちろん、藤の花を楽しむのであるが、連れてこられた子供にとっては花なんて一寸見れば十分である。子供に取ってみれば池の亀の方がよっぽど面白い。

  言われてみれば藤まつりと言っても、真剣に藤を凝視するのは俳人ぐらいで、一般の人は藤というよりも、その雰囲気を楽しむものであろう。子供ならなおさらである。この句は、藤そのものから目線をずらした面白い句だと思った。

鯉の背に鯉乗り上ぐる春の水 祥子 (泰三)

  調整が上手く行かず稽古会に参加できなかった泰三です。職場で夏潮を読んでおります。

 「夏潮」8月号雑詠より。季題は「春の水」。雪解けや降雨によって水嵩の増した春の水を言う。

  さてこの句。誰かが餌でも蒔いたのだろう。とたんに鯉たちは集まってきて、壮絶な奪い合いが始まる。鯉は他の鯉に噛みついたりはしない。この句に描かれているように、我先にと、他の鯉を押しのけ、上に乗っかり、餌を奪う。冬の間の鯉のことは「寒鯉」と言って、じっとして居ることが多い。この句には、春となり、水が温んできて動きが活溌になってきた鯉達の姿が鮮明に描かれている。