投稿者「taizo」のアーカイブ

未草鯉の濁りに揺られつゝ 和子 (泰三)

 一気に秋が深まり、自転車通勤がつらいと思い始めている泰三です。皆さんはいかがお過ごしですか。

 夏潮10月号雑詠より。季題は「未草」で夏。角川歳時記には、「白い清楚な花をつける。花が未の刻(午後二時頃)に開くと言われこの名がある」と説明される。

 未草は、池や沼に咲く。池の面には流もなければ、波打っていることもない。未草を揺らすもはさざ波ぐらいで、普段大きく揺れることはない。しかし、この句ではどんぶりと揺れた。揺らしたものは鯉だ。葉と葉の間を大きな鯉が濁りを立てながら泳いでゆく。しかしこの揺れもしばらくたてば止み、また静かな景色が戻ってくることであろう。可憐な未草の静かな咲きざまが目に浮かぶ佳句である。

蛍袋蟻がわんさとひそみゐる 美恵子 (泰三)

 季題は蛍袋で夏。ちなみに蟻も夏の季題であるが、この句の主たる季題は蛍袋であろう。この花、その名の通り袋状の紫色の花をいくつもつける。

 蛍袋はちんまりとしたかわいらしい花である。この花を見つけた作者は何とか一句に仕上げたいと懸命に見ていた。小さな袋状の花の中までのぞきこみまでしてみた。すると、その中には蟻がわんさと潜んでいるではないか。しめたと思い、この瞬間を一句に仕上げた。もちろんこの句は、蛍袋の持つ本情とはずれていよう。ずれを楽しむ。それも俳句ならではの楽しみ。そんなことが思わされた。

しばらくを瀬音に立てば時鳥 いづみ (泰三)

もうくたくたでついに日曜日に更新している泰三です。

 季題は時鳥。夏に「てっぺんかけたか」と鳴く、古来よりその鳴き声が楽しまれた鳥である。 さて、この句、瀬音の綺麗なところまで歩いて来た。疲れを癒すため、瀬音をきいていると、そこに時鳥の声が聞こえて来た。瀬音を聞いていると、授かりもののように時鳥の声が聞こえて来た。その喜びを一句に仕立てた佳句であろう。 また、散文であれば「しばらく立てば」とひょうげんするのであろうが、「しばらくを瀬音に立つ」という俳句ならではの表現もこの句の持つ「間」を引き立てている。

柏手の音やはらかな五月かな 深雪  (泰三)

  突然訪れた秋に少々体調を崩してしまい、そろそろ、焼酎ロックから、お湯割りに切り替えようかと思ってる泰三です。皆さんはいかがお過ごしですか。

  夏潮10月号雑詠より。季題は5月。初夏の誠に気持ちがよい季節である。緑豊かな神社には若葉が生き生きと茂っている。そんな中、参拝客が打った柏手が鳴った。その柏手の音が、柔らかかった。柏手は、寒い季節には、硬い鋭い音を立てる。初夏の心地よい空気が、柏手の音を柔らかくしているのだろう。

  また、文法的な正しさを言うならば、「やはらかなる五月かな」とすべきなのだろうが、「やはらかな五月かな」という「かな」を重ねたリズムの良さが、この句の持つ柔らかい内容と響きあっている。

 勝手な想像であるが、柏手を打った後の願い事も「家内安全」といったほのぼのとしたものであるような気がする。

苗植ゑてをれば聞かるる何や彼や  六平 (泰三)

ついに土曜日まで更新が遅れてしまい、もう謝るしかない泰三です。本当は私の担当は木曜日なのです。

夏潮9月号 雑詠より。

 「苗植う」という季題がありそうだが、私の持っている歳時記にはない。また「田植ゑ」の傍題にもあがっているかと思ったがそれにもない。そうなるとこの苗は何の苗なのか気になるところだが、「田植ゑ」と解釈するのが自然なのだろうか。でもそうであるならば作者は、「田を植ゑてをれば」と表現するのかもしれない。

 しかし、何の苗であれ、作者がそれを植え付けていると、何や彼や質問される。どうでもいいこと、また無責任なことを聞かれているのだろう。もしかしたら、「何植えているの?」なんていうことも聞かれているのかもしれない。聞いているのは、俳人かもしれない。そんななんだかどうでもいい会話、緩い人とのつながりが連想されおもしろく思った。