筍の一生分の皮を著て   園部光代(2014年8月号)

 筍」が夏の季題。「たかうな」、「たかんな」というとややクラシックな語感がある。竹冠に「旬」。「旬」は「旬日」などともいい、十日の意。つまり、十日間だけが「筍」ということになる。その出たばかりの「筍」の「皮」に注目した句。短い「筍」にぎゅっと巻き付いた「皮」は最初から「全部」、即ち「一生分」を備えているのでは、と作者は思っているのである。実際に植物学的にどうなのか、筆者にも判らない。しかし、こう言われてみると最初から「全部」用意されていて、それが竹と共に段々長く伸び、最後には節から剥 がれ墜ちて「竹の皮剥 ぐ」になるのであろうという想像もできる。

 読者も作者の楽しい想像に付き合って楽しめばよい。昔、食料難の時代に衣料品を少しづつ食べ物に換えた時代があり、それを自嘲的に「筍生活」と呼んだ。「一生分の皮」であったかと考えると、惨めさが際立つ。  (本井 英)

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