半夏生花の組紐垂らしたり  児玉和子

 季題は「半夏生」。「半夏生の花」という季題があれば、それが一番。その頃になると緑の葉が、まるでペンキでも塗ったように白くなるので、俳人の目と心を引き付ける「半夏生」。われわれの目はついつい「葉」に集中してしまうが、よくよく観察すると、葉叢の頂きあたりに、まるで「組紐」のような、房状の花が、何かの「尾」のように立ち上がり、垂れ下がるのが見える。そして、葉の「白」がだんだんにその色合いを変化させるのに同調して、「花穂」の様子も変化してゆく。その様子を「組紐垂らしたり」とずばりと言い切ったところに、作者の「見届けたり」という喜びのメッセージが伝わってくる。ことに「たり」という断定の表現には、読者をも巻き込む「力」が漲っている。(本井 英)

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