遡る波を見てをり橋涼み  山内裕子

 季題は「橋涼み」。虚子には〈橋涼み笛ふく人をとりまきぬ〉という印象的な句がある。「納涼」の句には一見にぎにぎしく見えながらも、どこか静かで、ときに淋しさを伴うことが多い。この句にもそうした静かな淋しさが漂う。ところで川面に立つ「波」にはおよそ三種類の「波」が考えられよう。一つは上流から流れ下るときに川底の形状などによって波状となるもの。「川波」と言えば普通このことだ。ところが河口付近では海の影響から、干満に伴うものや沖のうねりが河面にまで及ぶことがある。また上流下流を問わず、静水域では「風」の影響で風上から風下にかけて川水が波状をなす。これも立派に「波」だ。一句の状況は「遡る波」というのであるから河口近くの「うねり」の影響か、あるいは「風波」のことであろう。  なかなか収まらない夕凪の暑さを忘れる為に川畔までやって来た作者。「橋」の上まで出て、見下ろした河口近くの川面は海の方面からの「風」で細かいさざ波を立てている。その細かい川波は上流へ上流へと畳み止まないというのである。じっと「川波」を見ているうちに、少し淋しくなってきた作者かもしれない。(本井 英)

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