季題は「桐の花」。「桐は高いのは三十尺くらいに達するものもある。五月頃其枝の先に穂を為して筒状の淡紫色の花をつける 。其落花も美しい」 と歳時記は解説する。立子に「電車今まつしぐらなり桐の花」がある。鎌倉から東京に向かう横須賀線が、現在の東戸塚を出て、トンネルを潜り、一気に下って行く辺りに「その桐の木」はあった。下り勾配で横須賀線は素敵に加速しながら右に向かって大きくカーブを切る。その丁度「焦点」に当たる辺りに件の「桐の木」はあった。すっと屹立した「桐の木」は目立っていた。或る時、立子先生に、「この句、あそこでしょ」と伺ったことがあった。先生はにっこり微笑みながら、「そう」と応えられた。この「桐の木」もそうした、皆が知っている「桐の木」に違いない。大分離れた距離からも花の「薄紫」はそれと見えているのだ。徒歩だか、自転車だか判らないが、その木から目を離している間も、作者の心の中には「その色」が灯っている。「桐の花」の持つ気品のようなものが漂っている。(本井 英)
日別アーカイブ: 2025年2月4日
雑詠(2024年9月号)
近づいてゆくうれしさに桐の花 田中 香 花桐をマイクロバスで潜りけり 高原へカーブ幾つも桐の花 桐の花高しダム湖に映らざる 月皓々花烏瓜また皓々 常松ひろし 忽然と屋根より高く夏の蝶 松島盛夫 銅門常盤木門と城若葉 飯田美恵子 沢風にあさぎまだらの浮き憩ふ 藤永貴之
花筏淵に身動きとれぬまま 北村武子
季題は「花筏」。桜の花弁の一ひら一ひらが、水面に散り込んで、丁度「筏流し」の如く連なって流れている状態である。そう言えば「筏流し」こそ、絶えて見なくなった「日本の景色」の代表かもしれない。日本中で営まれていた「林業」。その木材のほとんどは「筏」に組んで「川」を運ばれた。いまや山水画でしか目にすることのない「筏流し」が日本中のいたる処で行われていたのだ。その「筏の景」に準えた「花筏」なる季題の何と洒落ていたことか。ところで掲出句の「花筏」は、それほど楽しそうでもない。流れのない「淵」に溜まってしまった「花筏」は、すっかり「身動き」が「とれぬまま」である。気持ちのよかった季題が、すっかり憂鬱な景となってしまっている。こうした処が「客観写生」の妙。「綺麗、綺麗」、「素敵、素敵」ばかりではないのである。俳句は読み手の状況で、さま〴〵に受け取られる。筆者の現状(入院先の病床で、この原稿を書いている)からは、「本当に、そんな感じ」と共感してしまう。桜花の仕舞いどきの、やゝ「ダル」な景ではあるが、捨てがたい「景」には違いない。(本井 英)
雑詠(2024年8月号)
花筏淵に身動きとれぬまま 北村武子 手の平に大きく開き落椿 湿原の一隅を占め諸葛菜 全身であゆみ初む児に風光る 中の島へ小舟を遣りて緑摘む 柳沢木菟 春日傘片手に母を支へつつ 梅岡礼子 爪立ちて女踊は腰高く 信野伸子 春惜みながら麓へ下る径 小沢藪柑子
たんぽぽの丈の低 さも浜の宿 山内裕子
季題は「たんぽぽ」。「鼓草」ともいう。どちらも子供の遊びから生まれた言葉。昔の子供は大人が拵えた「玩具」などとは縁が薄く、その辺の「野っ原」に生えたり、実ったりする草木を「おもちゃ」にしていた。筆者の世代はやや特殊。敗戦の影響で、さらに「玩具」の払底していた時代で、兄や姉の「よき時代」にはあった「玩具」も全く無かった。筆者が大事にしていた「自動車のおもちゃ」は父が使わなくなった「紙巻き煙草を、まく道具」だった。それしか「くるくる廻るもの」が無かったからだ。
閑話休題。一句の味わい処は「浜の宿」。大切なところは「海の宿」ではない点。「海の宿」なら「海辺の旅館」ほどの意味で、熱海でも白浜でも勝浦でも、つまり「海」に近い「宿」。所謂、老舗旅館・高級旅館なども念頭に浮かんでくる。しかし「浜の宿」と言われると一寸違う。なんとなく砂浜に近い、あるいは砂浜から自然と旅館の庭に通じてしまうような、旅館とも言えるし、民宿のような佇まいも目に浮かぶ。海水浴客を当てにしたような、「気さくな」宿だ。そんな「宿」の砂混じりの、平坦な「庭」に「たんぽぽ」が咲き始めた。まだ閑散として客の姿は見えないが、やがて夏休みにもなれば、子供達の歓声も聞こえてくるのであろう。(本井 英)