花筏淵に身動きとれぬまま  北村武子

 季題は「花筏」。桜の花弁の一ひら一ひらが、水面に散り込んで、丁度「筏流し」の如く連なって流れている状態である。そう言えば「筏流し」こそ、絶えて見なくなった「日本の景色」の代表かもしれない。日本中で営まれていた「林業」。その木材のほとんどは「筏」に組んで「川」を運ばれた。いまや山水画でしか目にすることのない「筏流し」が日本中のいたる処で行われていたのだ。その「筏の景」に準えた「花筏」なる季題の何と洒落ていたことか。ところで掲出句の「花筏」は、それほど楽しそうでもない。流れのない「淵」に溜まってしまった「花筏」は、すっかり「身動き」が「とれぬまま」である。気持ちのよかった季題が、すっかり憂鬱な景となってしまっている。こうした処が「客観写生」の妙。「綺麗、綺麗」、「素敵、素敵」ばかりではないのである。俳句は読み手の状況で、さま〴〵に受け取られる。筆者の現状(入院先の病床で、この原稿を書いている)からは、「本当に、そんな感じ」と共感してしまう。桜花の仕舞いどきの、やゝ「ダル」な景ではあるが、捨てがたい「景」には違いない。(本井 英)

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