人日の机ひろびろありにけり 天明さえ 人日の畑へ少しの菜と草を 人日の朝に重たきニュースかな 釜田眞吾 人の日となりて曜日を確かめぬ 原 昇平 人日や子も孫達も恙無く 牧野伴枝 人の日や粥に玉子の一人居の 羽重田民江
課題句(2024年1月号)
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人日の机ひろびろありにけり 天明さえ 人日の畑へ少しの菜と草を 人日の朝に重たきニュースかな 釜田眞吾 人の日となりて曜日を確かめぬ 原 昇平 人日や子も孫達も恙無く 牧野伴枝 人の日や粥に玉子の一人居の 羽重田民江
妻逝きて物音しない夜長かな 田中金太郎 芒野や疾く過ぎゆける雲の影 金太郎飴も売られて菊まつり ビルの灯の上にしづかにけふの月 遊園地消えてどりこの坂の秋 釜田眞吾 病む人に夜は長しよ茶立虫 山内裕子 水澄むや夢に終はりし一人旅 牧原 秋 くつきりとキレツト切処見ゆる秋の晴 武居玲子
季題は「夜長」。代表的な秋の季題だが、「夜学」、「夜業」などの季題から考えても、物理的な「夜」の長さを、前向きに捉えた同系季題が少なくない。落ち着いた「静かさ」を肯定的に考えたものが基本なのであろう。しかし、この句の場合はそうでも無い。一つの「家」という空間に二人で暮らしていた頃には、何気なく耳にしていた「妻のたてる音」を安心の「糧」としていた。その「物音」がプッツリと喪失された。居たたまれないような「不安」が、「夜長」という季題の中に充満している。その耐え難さはご本人以外には、なかなか想像が及ばない。もう一つ、この句の特徴は口語である。普通の文語文脈なら、「物音のせぬ」あるいは「物音もせぬ」とあるべきところだが、作者は敢えて「物音しない」と表現した。一見、不束な表現にも見えるが、実際に音に出して読んでみると、そこに何とも若干の「甘み」を含む「悲しみ」がゆらめいてくる。そこにこそ「妻」への、切ない思いが、感ぜられる。(本井 英)
商人は継がず 本井 英 照葉いま水陽炎のとらへたる 穭田となりて家墓あからさま 今年はも夜風あたたかお酉さま きらきらと黄やら赤やら熊手かな 商人は継がず老いけり酉の市 枯るる野の消えて車内の映りそめ 脚立から降りて見上げて松手入 松手入枝をゆすつて終りけり 掌の温みのこる瓢の実受けとりぬ 寺領なる幾百張りの女郎蜘蛛
柊の花を伝ひて雨雫 酔ひ醒めや真夜の時雨に虹かかり なだらかに海へ傾き大根畑 風が出て漁に出ぬ日は大根引く 子が吐きしミルクの匂ひ冬暖か 地にちかく地を見下ろして茶の花は 冬薔薇に沿うてどりこの坂曲がる 防風の茎の赤さも冬に入る 白といふ色の豊かさ桃吹けり 冬浪のかそけき日々の冬薔薇