日別アーカイブ: 2012年3月10日

土曜吟行会(英)

2012-03-10_132400.jpg 2012-03-10_141342.jpg

春雨の土曜吟行会は世田谷の豪徳寺でした。今年の遅い梅を愛でながら二十人の吟行は静かな中に活気のあるものでした。豪徳寺は招き猫の元祖。境内には平成の招き猫もいました。英

『誕生日』を読んで(矢沢六平)

『誕生日』を読んで     矢沢六平

 

 らふそくも苺も一つ誕生日

 

 僕が勝手に名付けたものに、「秒殺句」というのがある。

 全盛期のエメリヤ・エンコ・ヒョードルもかくやと思わせる破壊力を持っていて、清記用紙にズラリと並んだ俳句群の中から、有無を言わせぬ輝きをもって目に飛び込くる。僕はファイティングポーズをとる間もなく「瞬殺」されてタップしてしまう。そんな俳句のことだ。

 

 最近の経験では、渋谷の深夜句会で、「酔へば泣きデザートも食べ年忘」(岸本尚毅)、というのがあった。僕はこういう句に会うと、興奮してしまい、家の中をせかせか歩き回ったりする。

 

 麻里子さんのこの句に出会ったのは、夏潮の雑詠欄だったでしょうか。

 今回、句集を開いた途端に再びこの句が飛び込んできて、僕はまたまた大興奮。ひとしきり家中を歩き回りました。

 その興奮さめやらぬまま、これより読み進めてまいりますので、もしかしたらトンチンカンなことを言うかもしれませんが、どうぞご海容ください。

 

姫女エン(草冠に宛)たつぷり生けて野点かな

 ヒメジオンと読めばよいですか? 野外のお茶なので、そこいらに生えている花を活け、それが清々しくも可憐なんですね。

 

ベビーカー若葉のカフェに集ひけり

 平日のおだやかな昼下がり。僕ら男たちの知らない世界。

 

緑陰や鳩爺と栗鼠婆のゐて

 何か典拠がありますか? はとジジとリスばばが出てくる童話とか…。緑の深さとよく合います。

 

 他にも、「子育て句」は、素敵な句が多い印象です。

   ベビーカーの横にしゃがみて蓮眺む

   朝顔の種折り紙に包みけり

   タキシードに運動靴や七五三

   抱き上げし子ごとマフラーぐるり巻き

   母が読みひとり子の取る歌留多かな

   ベランダで吾子の散髪春の風

 

 写生句でよいと思ったのはこれらです。

   飛び魚や海に光の糸引いて

   湯剥きして地肌露はのトマトかな

   向日葵のシャワーヘッドのごとく垂る

   鉄球のごとく石榴のぶら下がり

   マンションのドアの数だけ年飾り

   年飾り小さきものがよく売れて

   池も地も満遍なしに花浴ぶる

 

冬の雨三百世帯静まりぬ

 この句にもノックアウトされました。三百世帯、としたところが大手柄であります。

 広々とした畑や雑木林の周辺に人家が点在する田園風景でもなく、家々が密集した下町でもなく、商店が立ち並ぶ町場でもない、三百世帯……。郊外の新開地が見えてきます。

 まだニュータウンを形成するほどではないが、それでもすでに三百世帯からの人々が住み、これからいよいよ新しい町が生まれつつある。そんな碁盤の目に整った区画に、静かに冬の雨が降っている。ささやかにして幸せな未来が予感させられる光景です。

 

 僕はこれを「新開地俳句」と名付けたいと思います。

 僕も東京の西郊で育ちましたので、こうした句を詠んでみたいと、強く思いました。同じ味わいの、次の句も素敵でした。

 新しき私の町に雪積もる

 

夏休み第一日は海へゆく

 そうですね。まずいの一番に海に行きたいですね。湘南電車や内房線のツートンカラーが懐かしいです。

 

我の腕母より長し秋袷

 僕は祖父の形見の秋袷に袖を通してみたことがあります。僕は男としては小さい方の部類に入りますが、それでも祖父の着物は袖が少し短かったです。

 

冬瓜をとろんと煮たり赤き鍋

 イタリアあたりの高級調理機器なのか、ホームセンターで売っている量産品なのか。いずれにしろ、例の真鍮色の鍋でなく、赤い鍋で煮てあると、冬瓜の煮物も俄然旨そうに見え興味津々。スープなのかな。清潔な、白を基調とした現代的キッチンの様子も見えてきます。

 

山小屋の奥に寒さの溜りをり

 客が少ないのか、みんな食堂に出てきていて奥がひっそりしているのか。北国や山国では、寒さは「溜まり」ます。標高の高い場所での寒さの実感。

 

どら焼きを分け合ふ夫婦梅の花

 梅はまだ寒い頃に咲きます。だからこその梅の暖かさに、私達は心を惹かれるのですね。どら焼きを分け合うのは、きっと老夫婦なのでしょう。

 

古雛の眉優しかり雨の寺

 雨降りの寺の、本堂の薄暗さが見えます。

 

 読み了えて、巻頭句で受けた衝撃と興奮が少しおさまってまいりました。

 そこで、ちょいと考えてみました。

 

らふそくと苺とひとつ誕生日

 

 「と」にしてみてはどうだろう。

 簡素で淡い味わいの、別の句になるかもしれないと思ったのですが、やはりここは、「も」でなくてはなりませんでした。そうでないと、「あの日産んだこの児が、もう一歳になったのだ」という喜びが伝わらないからです。年に数度は出会えない「秒殺句」は、どの角度から眺めても、全くいじりようがありませんでした。

   らふそくも苺も一つ誕生日

 名句です。心からそう思います。