今日は、池袋句会がありました。兼題は、露霜と仏手柑でした。例によって難しい題が出ていたため、苦労させられました。
慶大俳句の橋本慎也君と平林賢東君が初めて参加してくれました。
鎮むるに仏手柑の名を奉ぜしか かおる
墓山へ行くだけの径石蕗の花 近藤作子 酢の蔵に潮風吹いて石蕗の花流れゆく雲に光りや石蕗の花 平林和子 すぐ陰る島の日ざしや石蕗の花 梅岡礼子 濡縁の木目凹凸石蕗の花 本井英 一株の石蕗を大事と住古りて 臼井静江
透明な水へ金魚を放ちけり 高瀬竟二 老いたるか骨がぎくしやくして裸 腕時計ちらと見サングラスの女 凌霄の風にうるさき花の数
昼寝して三途の川の辺まで 馬場紘二 天井に見覚えのなき昼寝覚 宮川幸雄 航跡を残さずに行くヨットかな 梅岡礼子 水中花電話鳴りをり取らずをり 永田泰三
季題は「金魚」。昔は「金魚売り」が金魚の桶を担いで町中を売って歩いていたものだが、そんな景色は絶えて無くなった。掲出句、どんな場面を想像してもよいのだが、私の心に浮かんだ景はこうだ。庭に古くからの金魚鉢が出してあって、布袋葵なども浮かべてある。その鉢の水がだんだんに緑色に濁ってきて、最近は浮かび上がった金魚は見えるものの、底深く沈んだ金魚はその姿を見ることもできない。そこである時、水を替えてやることを思い立ち、水道の水をポリバケツに溜めて置いておいたのだ。二三日経って、ポリバケツを金魚鉢の隣に置き、小さなタモで(あるいは何か台所で使う笊なんかかもしれない)、濁った鉢から金魚を掬いとってポリバケツの水に移してやった。その瞬間、金魚は「透明な」水に浮かぶような、あるいは水中を飛ぶような姿にありありとみえたのである。「透明な水」の中を駆け回る光線、その光線に照らされて、「金魚」は、いままで見せたこともない鮮やかな色調を作者に見せた。その瞬間の映像だけがこの句の内容である。
この句は、この場面に至った経緯については何も触れていない。余計な「事柄」はすべて省いてしまった。そこにこの句の強さがある。(本井英)