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「夏潮 第零句集シリーズ 第2巻 Vol.4 原昌平『夏煖炉』~誠実な観察眼~」  

「夏潮 第零句集シリーズ 第2巻 Vol.4 原昌平『夏煖炉』~誠実な観察眼~」 

 

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 原昌平さんは真に誠実な方である。ご仕事にも、ご家庭にも、俳句の活動にも実に誠実に接せられる。故に老若男女古今東西を問わず、大変な人望をお持ちである。私も魅せられた一人であり、原さんが近所に新居を構えられると伺った際には大変嬉しく思った。

 さて、その俳句は実に丁寧な写生に基づき言葉に無理がない。常に正しく、十七文字の容量と描かむとする景との間の距離感を持って俳句と接せられているように思う。

 

 振り向けばタージ小春の日の中に 昌平

 インドは昌平さんにとっても、日本にとってもますます大事な国になろう。そのインドの代表的遺跡であるタージ・マハールが小春の日を浴びて輝いていた。「小春」という、如何にも日本人的感覚の季題から、タージ・マハールな優美な佇まいが自ずから浮かび上がってくる。日印の架け橋として活躍されている昌平さんだからこその一句とも言えよう。

 

 子等の手にかゝり薄氷散りぢりに 昌平

 何の主観も入っていない、淡々と述べた光景から、薄氷の哀れや子供に対する愛情が伝わってくる。まさに「描写」ができている一句。原さんの社会、人、季題に対する観察眼は大変鋭い。その観察眼から生まれた一句であろう。

 第一句集へ向けてまずは核となる百句は揃った。若かりし頃の句、特にインドへ赴任された折の句も含めまとめていただき、早期に第一句集としての完成を願って止まない。

 

下名が他に印をつけたくは以下の通り。

瘤牛も人も愚直や耕せる

夏煖炉会話途切れることもよし

田作の互ひ違ひに重なりて

絵葉書を書いてゐる妻旅夜長

吾子生るる皐月朔日大安に

キャンパスの大路新緑うすにごり

新しき家新しき暦掛け

梢から梢へ揺れて枯木立

咳すれば咳を真似する子にこにこ

天地の黙してをれど犬ふぐり

赤旗は取壊す家西日濃く

手をつなぐことなく向かふ入学式

 

(杉原記 大部分を第零句集の序文より転載しております)

 

原昌平『夏煖炉』鑑賞   (渡辺深雪)

原昌平『夏煖炉』鑑賞   (渡辺深雪)

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 原昌平氏の句を鑑賞して感じたことは、これほど景がはっきり見える句を作る人はいないということだった。

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富士見ゆるスキー日和となりにけり 昌平

海原を越えて西日が棚田へと

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 雪山の上に現れる壮麗な富士と、海の上で輝いていた太陽が夕日となって棚田を赤く染める情景が、ありありと浮かび上がる。

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 加えて、原氏には季語の持つ気分がそのまま感じられる句が多い。

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風鐸を鳴らしそめたる春の風 昌平

春寒に亀動かざる弁天社 

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 前者の句は風鐸と季語との組み合わせが春の穏やかな気分を伝えており、後者の句ではまだ寒く、しかし変わりつつある季節の雰囲気を、亀の描写を通じて味わうことができる。

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 そして何より原氏の句作を支えているものは、以下の句に見られる素朴な生活感情であり、他者への高い関心であろう。

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麗かや床屋の夫婦植木好き  昌平

鯛焼を買つて帰りて日脚伸ぶ

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 原氏の句にはどれも、季節と共に生きる人々の暮らしの原風景が垣間見える。季題に寄り添いながら、日常の中で見て感じたことをありのままに表すこと、同氏の句はその大切さを我々に教えてくれるのである。

 

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船虫の音のしさうな群であり 昌平

 「船虫」は七月の季題。産卵期にあたるこの季節、新しく繁殖した船虫が群れをなして走る光景をよく見かける。作者はその様を見て、「かさこそ」と走る音まで聞こえてくるように感じた。船虫のせわしない様子を見事にとらえた、面白い句である。

降り立つた島の空港ばつた飛ぶ 昌平

 空港と言っても、あまり大きなものではない。作者がタラップで飛行機を降りると、足元でばったが飛び跳ねていた。滑走路に棲みついているのか、それとも外から迷い込んだのだろうか。ばったの姿を通じて、地方空港のゆったりとした秋の風景が浮かんで来る。

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酉の市裸電球灯り初め 昌平

 季題は「酉の市」。陽が西に傾き始めたころ、境内の露天に吊るされた裸電球がぽつぽつと灯り始めた。これから大勢の人が訪れて、市はにぎわいを見せるのだろう。裸電球の灯りから、初冬の市の気分が伝わって来る。

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新しき家新しき暦掛け 昌平

 「新しき暦」とは「初暦」のことであろう。新築の家で新年を迎え、そこで新しい暦を掛ける。これらはすべて、作者が初めて経験することだ。「新しき」という言葉の繰り返しが、文字通り新しい生活への胸の高鳴りを伝えている。

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亀搔けば亀に従ふ春の水 昌平

 暖かくなってようやく満ちて来た水の上に、亀が泳いでいる。その小さな脚で立てた波紋が、亀の後をついて行くように見える。ゆっくり泳ぐ亀の姿と水面の小さな波紋が、春の穏やかな気分と水の柔らかさを感じさせる。

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登り来ていよいよ天の高くあり 昌平

 秋のよく晴れた日に山を登っていた作者は、とうとうその頂上にたどり着いた。そこから見上げる青い空が、登る前よりも一層高い所へ続いているように見えた。雄大な秋の景色が、読む者の目に見えるように描き出されている。

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夏めきて水上バスの屋根に客 昌平

 どこの川の景だろうか。夏のきざしが見え始めるこのごろ、ちょっとした舟遊びをしたい気分になる。川の水面がきらめくこの日は、屋根に上って楽しむ客が多いようだ。初夏の観光スポットの明るい気分が、この句全体を通して伝わって来る。

第零句集『夏煖炉』を読んで (矢沢六平)

零句集『夏暖炉』を読んで(矢沢六平)

 

木遣隊喇叭隊ある祭かな

 初めて御柱の見物に出かけた時、僕は二十四歳で、昌平さんは二十歳だったと思う。あれから七年目ごとのお祭りが四回あって、紅顔の美少年だった二人も、今や押しも押されぬ立派なおっさんに成り果てました。なんとも、感慨深いものがありますなあ……。

 

 閑話休題。さて、俳句です。

 句集を繰って最初に僕の「お気に入り」に登録されたのは、花野の句でした。すると、次々と、映画のワンシーンでも観るような、「物語性のある」俳句が目に飛び込んできました。  

この花野この高原に帰り来し

 これはきっと、映画の冒頭シーン。主人公が人生のある時期を過ごした場所に久々に帰ってきた。目の前にひろがる花野の美しい景色。回想がフラッシュバックして物語が始まり、だんだんと戻って来なくてはならなかった「理由」が明らかになっていく…。

 

ずいずいと人波分けて大熊手

 御酉様の夜の雑踏を、人の頭二つ分くらい高い熊手が、切り裂くように突き進んでいく。カメラは、それを持っている男の、思い詰めたような真剣な眼差しにパーン……。

 

夏山家大きく座敷開け放ち

 少女は一人で、高原列車とボンネットバスを乗り継いでやってきた。開け放った広い夏座敷に麻の白い着物を着た笠智衆がポツンと坐っていて、呟くように言う。「よう来たのう…」

 

夏暖炉会話途切れることもよし

 どこか、信州あたりの別荘。男女五六人。二泊目か、もう三泊目かの夜なんだろう。チロチロと火が燃えている…。

 

大蝦蛄を食らひ尽くして妻呵呵と

 勢いで結婚してしまった二人。まだまだ「自分探し」の旅の途中にいる若い共働き夫婦の成長を、コメディータッチの日常を通して描く。このシーンは、大団円の十五分前あたりだ。

 

絵葉書を書いてゐる妻旅夜長

 ちょっと大人の物語。ロケ地は、僕なら…そうだな、東京ステーションホテルがいいな。

 

麗かや床屋の夫婦植木好き

 子供と老人しかいないような、ちょっと寂れた地方都市の駅はずれの一角。夫役の小日向文世の風貌が見えてきませんか?

 

新しき家新しき暦掛け

 一軒家なのかな。アパートの一室でもいいけど。転居のあれやこれやが全て済んで、最後の仕上げにキッチンの壁に貼る新品のカレンダー。これから始まる未来の日々を想起させ、エンドマーク…、そしてスタッフロールへと……。

 

赤旗は取り壊す家西日濃く

 念願の家の建て替え。息子夫婦との二世帯住宅だ。そして、いよいよ取り壊しの日の光景。…ブルトーザーがやってきて…。「母さん、泣くなよ…」…。…。

 あるいは、災害の跡地に立ち尽くす一家の様子か…。

 

 …ついつい、皆さんに、僕の「妄想」にお付き合いをさせてしまいました。お詫びいたします。

 でも、僕は、「詩歌とは『人生という本の目次』なんだ」と思っているのです。だから、その一行から様々な連想が広がる時、来し方行く末のいろいろに想いが至る時、僕は上質な作品に触れたことの喜びで、とても幸せな気持ちに満たされるのです。

 昌平さんの句集には、僕をそうさせる俳句が、今取り上げた句以外にもたくさんありました。読んでいてとても楽しかった。

 ありがとう、と言いたいです。

 

 季題をじっと「観察」して「発見」した事柄が、ある種の詩的感興を生み出す。これ、俳句ならではの働きであります。そして、それを味わうのは、俳句鑑賞の醍醐味の一つでありましょう。

 もちろん、この句集の中にはそういった俳句もたくさんあったわけで、それらの内のいくつかをご紹介いたします。

 

船虫の音のしさうな群であり

 たしかに、脚のシャカシャカ音が聞こえてきそうです。

踏んづけてしまつたものも蕗の薹

 蕗の薹を探し、摘んでいるんですね。だから、もの「も」、になるわけです。

島の秋貸し自転車に鍵はなく

 開ける方のカギではなく、錠前の方のカギなんだと捉えました。借りた自転車に鍵がかかっていなかった…が、島の秋、と響き合っていると思います。

初暦未だくるりと曲がりゐて

 筒状に丸めてあったのを開いて貼ったからです。

夏霧が稜線越えてカールへと

 山の上では、霧は「晴れる」のではなく、「動き」去りますよね。

小春日の日本の空に帰り来し

 行っていたのは、寒い国か暑い国。四季のない国だったのでしょう。

カト五匹額集めて何相談

 観察の結果、「集めて」と述べた。そこが良かった。「額を寄せて」じゃダメだよね。

梢から幹へと揺れて枯木立

 風が少うし、吹いてきたんですね。

 

 これはいい句なんだという、手応えというか、手触りのようなものが確実に感じられるのだが、なぜ良いのかがうまく説明できない。

 単に、僕の鑑賞力不足が原因なのかもしれません。しかし、ここにも俳句ならではの、「醍醐味」があるように思えます。

 そんな句のいくつかを書き写して、今回の鑑賞をおえたいと思います。いつかみんなで(酒飲みながら)議論できたら最高です。

 

車輌区をゆつくりよぎる秋の蝶

東京の西の外れの夜寒かな

水打つや千家東京出張所

冨田いづみさん『島』を読んで (石本美穂)

冨田いづみさん『島』を読んで    石本美穂

 

「思ったことをそのまま、鼻歌を歌うように、句を作る。」(あとがきより)

やりたいと思っても、だれもが簡単に出来ることではない。言葉に凝ってはいない、でも、ただ素直に作っているのとも違う「まとまり感」のある句。景がぱあっと目の前に広がる。句集紹介で祐之くんも「リズム」に触れていたけれど、いづみさんの持っている天性のリズム感が、見たもの、思ったことを自然に五七五の形にして言葉を生み出しているのだと思う。

 

秋風にいしやきいもとはらのむし

 

『島』の第一句。俳句を始めたとき、「ともかく作ってみた。」ともあとがきに書いているいづみさん。五七五そのものを楽しんでいることが伝わってきて、私も楽しくなる。

 

えんぴつのらくがきのありおひなさま

 

すべてひらがなであることも手伝って、小さな女の子と、鉛筆を握る小さな手を思い浮かべながら、いまは大人である自分が、おひなさまを手にとって懐かしんでいる、という景。おひなさまのひとつの真情が伝わってくる。

 

番犬のへたりと座る暑さかな

 

わんっ!と吠えられたかとおもったら、へっへっへっへ、と舌で息をして、そのままそこにへたっと座り込んだ犬。犬も暑いんだな。あんな毛皮着ていたら、余計に。

ほんとうに、見たままそのままが、季題とともにまとまった一句となっている。

すんなり読み手の心に入ってくるのが心地よい。

 

うさぎちよとななめに跳ねて春の月

猫の鈴ちろろと逃げて冴え返る

倒木の割れし腹よりひこばえす

鉄線の恋占いのやうに散る

 

母に会ふ母のお古の日傘さし

 

ご主人に、「母のお古なの」と言いながらうれしそうに日傘をさしてでかけていくいづみさん。待ち合わせでお母様がその日傘を見て、うれしそうに「あ、それ、お母さんのね。」いづみさんも、ふふっとうれしそうに「そう。お母さんの。」小津映画の一コマのようで、日傘がきちんと句の中心になっている。

 

フリージア音符のやうにつぼむかな

春泥をぬんぬん踏んで登山靴

月島のたひらを歩く暑さかな

しあはせは半分こする冷やっこ

初蝶の日なたに夫と待ち合はす

豊の秋ばんばの尻のまどかなる

 

一緒に吟行していると、私が句材を拾えずあっさり通り過ぎた場所で、いづみさんはじっと立ち止まり、句帳を開いている。集中力もある人なのである。

季節が良くなったら、府中競馬場あたりで吟行をぜひ、ご一緒したいなぁと。。。

 

夏潮第零句集シリーズ 冨田いづみ『島』~リズムのままに~ インタビューを追加

夏潮第零句集シリーズ第2巻第3号 冨田いづみ『島』

 

夏潮第零句集、今月は冨田いづみさんの『島』。

いづみさんは、昭和四十七年東京都生まれ。平成十年、慶應義塾志木高等学校勤務時代に本井英主宰と出会い、俳句を始め『惜春』に投句を開始、その後『夏潮』に参加されている。最近はお忙しい中でもコンスタンに吟行会にも参加されている。

 

主宰の序文にもあるように、非常にマイペースで独特の感性をお持ちである。マイペースと言っても他人を不愉快にさせるようなものではなく、周りをほんわかとさせてくれる女性である。

それは家族を詠んだ句が12句もあることからわかるように、非常に素晴らしい家庭で育たれたからであろう。

俳句にもそれは表れていて、独特の擬態語、躊躇わない比喩の活用、難しくなくスッと入ってくる句のリズムなどが彼女の俳句の特徴であろう。ご自分の体内から沸き起こるリズムと季題との交感の波長が一致した時、穏やかながら我々をうならせる句を見せてくれる。

 一方で、ご自分の体内のリズムの句を詠まれているので、100句並べてみると単調な感じを受けてしまうことも否めない。古今東西の先人の俳句を詠みつつ、新たな境地へと踏み出されることも期待する。

フラメンコ踊りだしさう大椿 いづみ

→季題は「椿」。初作の頃の句だと思うが、思い切った比喩が成功している。言いっぱなしのぶっきらぼうな表現も、大椿の美しいがちょっと取り付く島の無い様子とマッチしてる。フラメンコの赤と椿の赤、ドレスの裾と椿の花びら。なるほどと感心した。

 

熱燗に共働きの夜更けかな いづみ

→季題は「熱燗」、寒い夜の寝酒として飲むものが季題となっている。

いづみさんの家族の句の良いところは、甘くなり過ぎないよう事実を季題に託して淡々と読んでいるところである。

この句も共働き疲れ切っているが、「熱燗」が悪い愚痴のこぼしあいの材料でなく、前向きな明日への活力となっているところが良い。

下五切字の「かな」が持つポジティブ力のお蔭であろう。そう考えると俳句形式を充分に活かした一句といえよう。

 

豊の秋ばんばの尻のまどかなる いづみ

→季題は「豊の秋」。いづみさんは旦那様共々の競馬好きである。これは北海道の「ばんえい競馬」を取材された時のものであろう。サラブレットの走るために研ぎ澄まされた体系とはまた異なる、大型で橇を引くための輓馬の様子を写生された。

 「天高く馬肥ゆる秋」の通り、この季節の馬の毛艶はまことに美しい。特に秋の濃い日差しを跳ね返す栗毛などの馬の美しさには息をのむばかりである。余談だが、私が10年以上前の天皇賞・秋のパドックで間近で見たサイレンススズカの完成された馬隊が15時の日差しに輝く姿は今でも忘れられない。閑話休題、この句は輓馬の尻を「まどか」と詠んだところが手柄。ローカル競馬の趣が描けている。

 

 その他印をつけた句を以下に紹介したい。

山盛りのムール貝食ふ遅日かな

白梅や夜空に星のごとくある

父よりも母がえらくて更衣

春を待つ心や君を待つに似て

落葉して沼に波紋のひろがらず

父母と別れてよりの花疲れ

フリージア音符のやうにつぼむかな

春泥をぬんぬん踏んで登山靴

島の子と星座たどれば流れ星

ちくちくとロッジの毛布厚きこと

吹き晴れて吹き晴れてゆく四温かな

(杉原 祐之 記)

 

(11月25日追記)

冨田いづみさんにインタビューをお願いしました。

 

Q:100句の内、ご自分にとって渾身の一句

 →島の子と星座たどれば流れ星

渾身の一句というより、タイトル『島』、西表島での思い出の一句。

これからも島の句をたくさん詠んで行きたい。

 

Q:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

→「いづみさんの句」とわからないような句にチャレンジして行きたい。

もっと馬の句も詠んでみたい。

 

Q:100句まとめた感想を一句で。

→駆け抜けてその先にある冬日かな