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夏潮『第零句集』(第一集)の紹介です。

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.4」町田優『いらっしゃい』

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.4」 町田優『いらっしゃい』

 

 「夏潮第零句集シリーズ」。第4号は町田優(本名:優人)さん。

 優さんは、昭和四十三年埼玉県生。大学時代に一般教養過程で教えていた本井英と出会い、慶大俳句会に入会。俳句と出会うことになった模様。

 社会人になってからも、お忙しい商社業務の合間を縫って現役の活動に参加いただき、サポートいただいた。個人的にも「慶大俳句」の活動を通じて沢山のことを教えて頂いた。

 誰からも愛される穏やかな先輩で、後輩の少々の失敗や失礼も笑って許して頂いたことが多数記憶しています。昨年、町田さんが結婚されると伺った際には、俳句関係者勢揃いし、人気の高さを改めて認識しました。

氏は、数年前から名古屋に居住しており、「夏潮」創刊後、名古屋支部を立上げていただき、正式に任命されているか不明だが、初代名古屋支部長を務められている。

 

 さて、氏の俳句だがやはり「自然体」であることが、最大の特徴であるといえよう。まさに氏の性格の通り、五七五の定型と季題に決して無理をさせず、自分の世界を詠み上げていっている。言葉を攻め立てるというよりは、自然に対象が持つ言魂が浮かび上がってくるような俳句が多かったです。

 我々の世代の仲間には世に出るべく、「派手な」句を詠もうとして失敗する向きがあるが、氏の場合は真直ぐに「自分の世界」で見えたものを写生されていると思います。そして、その背景としては、俳句の師である本井英に対する絶対的な信頼があるのではないでしょうか。

 今後も、是非町田さんの独特の視線で季題や生活を切り取った俳句を詠んで頂きたい。上五の「すっきり感」は氏の特徴だが、もう少し言葉を攻めて句を仕上げていくことも必要だと思います。

手荷物は頭の所昼寝人 優

 季題は「昼寝」。中七の「頭の所」という大雑把な把握の仕方が町田さんらしい「のどけし」があって大変結構だと思いました。

 「手荷物」「頭の所」「昼寝人」とどれも厳しくない言葉を連ねつつ、緩くない一句に仕上がっています。

釣銭を受く間苗木の育て方 優

 季題は「苗木市」。「苗木市」となると、植物園の「苗木売り」とは違い、的屋の横にちょっとしたスペースを設けて苗木を売っている人たちを想像してしまいます。

 「如何わしい」とまで言うと言い過ぎですが、そこの親父の売り文句に乗せられる形で作者は苗木を買いました。買いはしたものの、若干不安があるのでしょう、「釣銭を受ける間」に二三こと確認を行いました。商品と引き換えに代金は払っていますが、釣銭を受け取るまでの時間と言うのは所有権の移転が成立しているのでしょうか、いないのでしょうか。

 苗木の購入を巡って変化する心理的な手際よく描くことに成功している一句。氏の人柄の優しさも伝わってきます。

 

『いらっしゃい』抄 (杉原祐之選)

梅雨明けや月がまあるくなつてをる

顔中に霰あつめて滑降す

蟹を喰ふ人を見ながら蟹を喰ふ

初空に敷き広げたる都会かな

春の海に胡坐かきたる小鳥かな

一位の實光を宿したりにけり

いらつしゃいまたいらつしゃい芒原

緞帳の開くが如く霧の明け

蝉骸これ程までの軽さかな

風滑り来て藤棚に至りけり

 


関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-756.html

 


町田優さんにインタビューしました。

町田優さん

2)100句の内、ご自分にとって渾身の一句

鳴ききつて生ききつて蝉落つるかな 優
3)100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。
一歩一歩。他人の味わい深い句を見つけ、自分の句に変化をもたせ、また選句の目を肥やして行きたいですね。
4)100句まとめた感想を一句で。
清清しき景の広がる冬の丘 優

永田泰三『一歩』鑑賞(渡辺深雪)

序にかえて

 この度、今月に入って刊行された永田泰三氏の第零句集『一歩』を拝読させていただいた。どの句にも、俳人としての同氏の人間性が滲み出ているように感じられた。鑑賞をさせていただくにあたり、この句集を通じて浮かび上がる作者像について書いてゆきたい。

 まずはやはり、永田氏が抒情を愛する感性豊かな人間であることだろう。その豊かな感性は、以下に挙げる句からもうかがえる。

駅を出てそれぞれ家へ春の月  泰三

口笛を乗せて遠くへ青田風

 一人一人が家路に着く上に浮かぶ春の月のほのかな様子や、口笛を運ぶ初夏の風の爽やかさなど、読む者の情感をかきたてるものがあるだろう。永田氏の持つみずみずしい感性とリリシズムを、この二つの句は見せてくれる。

  だがこの豊かな感性も、日常性を大事にする同氏の生活感覚あってこそ生かされる。これを証明する二つの句がある。

五月雨にやることなくてギター弾く  泰三

母としてごきぶり打ってをりにけり

  外に出るのが面倒でギターを弾いて気を紛らわせる休日や、ごきぶりを打つ主婦などはよく見かける光景だろう。特に前者の句の「やることなくて」というぶっきらぼうな言葉からも判るように、永田氏の作る句では日常の光景が飾り気のない言葉で描かれている。同氏はことさらに難しい言葉を並べるようなことはしない。素朴な生活感情を失わず、日々の営みをありのままに描く人間なのだ。

  ありのままに見たものを描く永田氏は、優れた観察眼を持つ俳人でもある。

蕊を見てをれば香れる梅の花  泰三

蕊に濃き桃色集め桃の花

 梅と桃の違いはあるが、共に蕊という一点に集中して対象を描き、それぞれの美しさを表現することに成功している。細かな所に至るまでものを見る姿勢が、奥行きのある写生を可能たらしめているのである。

  最後に、永田氏の人柄を特に強く浮かび上がらせている句がいくつもある。以下の句をご覧いただきたい。

日脚伸ぶ頃に生まれて来てくれて  泰三

咳の子の小さき背ナをなづるかな

 我が子に寄せる思いを詠んだこれらの句から、同氏の温かな眼差しを感じることができる。こうした温かな眼差しは、我が子への愛情を詠った句だけに見られるものではない。夫として、父として、聖職者として、教師として、永田氏は他者に対して常に慈しみの心を持って接している。そしてこの慈しみの心こそが、その豊かな教養と並び同氏の句作を支えているものだ。句作において強調される写生とは、生命あるもの(生)を写すことである。永田氏は万物への温かな眼差しを決して失うことなく、この慈しみを持って生命あるものを詠う俳人なのである。

 

飛び立てる時の力や寒鴉  泰三

 寒空の下、鴉が大きな羽音を立てて飛び立つ瞬間を描いた句。寒鴉は一月の季題であるが、この時期は空気が乾燥しているため、物音が大きく聞こえる。鳥の中でも体躯の大きい鴉が羽ばたけば、一層強く耳に響くはずだ。だがこの句の中では、「音」を表す言葉を用いる代わりに、「力」という一語にこの情景を凝縮させている。何もかもが枯れ果てた、冬の荒涼とした情景をこの季語は連想させるが、ここでは厳しい季節を生き抜く禽獣のたくましさと生命力をむしろ感じることができる。

 

 待たされてゐる事楽し春隣  泰三

 「待つ」というのは嫌なものだ。まして一月の冷たい風が吹きすさぶ中であれば尚更である。「待たされている」と受動態で書かれている点からも、これが作者の本意でないことは容易に想像できるだろう。が、周りを見ると外の日差しは明るく、もうすぐ花開く気配すらうかがえる。春は少しずつ近づいているのだ。それを思うと、こうして待たされていることも、段々楽しく感じられて来る。「待つ」という面倒な行為を「楽し」と言い切ることで、「春隣」という季語が実感の持てる言葉となっている。

 

寝そべりて雲雀揚がるを見てゐたり  泰三

 よく晴れた春の休日、作者は家族あるいは友人と近くの野原へピクニックに出掛けた。やわらかな草の感触が気持ちいいので、大地の上にあお向けになりただぼんやりと空を見上げていた。するとそこに、普段はあまり見ることのできない雲雀の影がひとつ、高く舞い上がろうとしているのが見えた。雲雀は空の一点となり、高く高く昇って行く。作者はこのまま横になりながら、その姿をずっと眺めていたいと思った。そんな作者の眼を通じて、明るく牧歌的な春の風景が浮かび上って来る一句である。

 

体操着着て休日の田植かな  泰三

 田植を手伝う子供の姿を描いた句。描かれているのは、休日の田園の風景である。学校の授業は休みで、子供は家にいる。大人たちは外で苗を植えている。子供はそれを見て、自分も手伝いたくなった。が、服装は汚れても良いように、体育の授業で着る真っ白な体操着である。この白い体操着がまた、田んぼの匂いと青々とした苗の色に合う。田舎の子の元気な様子と田植の明るくみずみずしい情景が、体操着と田植という組み合わせから見えて来る。

 

百日紅暑さ喜び咲けるかな  泰三

 百日紅はちょうど夏の暑さがピークを迎えたころに花開く。灼熱の太陽の下、赤い花が一斉に咲くその様は「燃える」という形容にふさわしい。ことに蒼く広がる真夏の空とのコントラストは壮麗である。夏の盛りに咲き誇る様を見て、作者はこの花が暑さを「喜んで」いるのだと感じた。なるほど、燃えたぎるような暑さに呼応して、真っ赤な花を開く様は「喜び」の表現として受け取ることができよう。この「喜び」という一語からは、夏の植物の生命力がまばゆいばかりの明るさと共に感じられる。

 

帰省して母校の前を通りけり  泰三

 「母校」というひとつの言葉に、作者の様々な思いが込められている。夏休みなどで長い休暇が取れたので、久しぶりに故郷の街に帰って来た。車かバスで実家へ向かう途中、かつて通った学び舎が眼に飛び込んで来た。青春を過ごしたこの建物を見て、本当の意味で自分のふるさとに帰って来たことを実感した。が、感傷にふける間もなく、車はその前を通り過ぎて行く。すでに卒業して大人になった作者は、もうここに戻ることはできないのだ。失われた時代への郷愁が、一瞬の光景を通じて読者に伝わる一句。

 

秋風におもちゃの車走り出す  泰三

 小さな子供がいる家庭の情景。下に小さな車輪のついた、消防車かスポーツカーを模った子供用の乗り物がこの句の中心である。子供が遊び終わった後、地面に置いたおもちゃの車に秋風が吹き、ひとりでにコロコロ動き出した。ただそれだけのことを描いているのだが、その転がって行く様子からは秋風が吹く情景の静けさと、何かが終わったようなもの淋しさが感じられる。子供もいずれ大きくなり、この乗り物で遊ばなくなる日が来るだろう。それを思うと、このおもちゃが持つ意味合いもまた違うものになる。

 

柿吊す事が仕事や日曜日  泰三

 秋も深まり行くころの、山村の農家で見た風景。地方ではまだ残っているはずだが、熟れた柿を軒先に吊るして干し柿を作る慣習は、秋の原風景になっている。この柿を吊るしているのは、六十を過ぎたくらいの老夫婦だろうか。「仕事」とはいっても、平日の農作業と違うのでゆったりと動いているように見える。普段都会で忙しく働いている作者の眼には、新鮮に映ったに違いない。のんびりと柿を吊るしている姿は、深まる秋の穏やかな情景と共に、都市での生活に疲れた人間の心をいやす何かを感じさせてくれる。

 

宙に浮く如くに夜の紅葉かな  泰三

 秋の深まりと共に夜の訪れも早くなる。昼間は眼の前に現れていた木々の幹と枝が、夜のとばりに紛れて見えなくなってしまった。色とりどりの紅葉だけが、闇の中に姿を現している。それを作者は、「宙に浮く如くに」見えたのである。黒い闇と紅葉の色のコントラストもさることながら、「宙に浮く」という表現が後者の持つ一種の妖艶さをより強く印象づけている。深い闇の中に紅葉の姿が浮かび上がる様が、読む側に静かな幽玄の世界を垣間見せている。

 

焚火する人を見てゐる烏かな  泰三

 先に「寒鴉」の句を取り上げたが、この烏(鴉)という鳥は冬の風景によく馴染む。その不気味なイメージが、殺伐としたこの季節の情景に似合うからだろう。さて、焚火をしていると一羽の烏が近くに止まっているのが見えた。火を焚いている人間たちの方を、烏は鋭い眼でじっと見ている。本当なら、「見ている」のは(作者を含めた)人間たちの方であるが、「見ている」主体を烏に置き換えることで、両方の姿が焚火を中心にパノラマとなって見えて来る。人間が作り出す火と煙に、烏は何を思うのか。もしかしたら、烏の方でも冬の寒さに我慢できず、一緒に暖を取りに来たのかも知れない。

 

他にも取り上げたい句がいくつもあったが、筆者の好みと力量によりやや偏った選になったかも知れない。これからも、永田氏がより温かな味わいのある句を作ってくださるよう切に願う。

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.3」 永田泰三『一歩』

 

 「夏潮第零句集シリーズ」。第3号は永田泰三さん。

泰三さんは、昭和四十九年福岡県生。高校時代、藤永貴之さんと同級生。その後大学進学後、藤永さんを通じて俳句と出会う。慶大俳句のイベントにも参加いただいていた。

「夏潮」創刊に参加し、本格的に本井英に師事。同じ頃、茨城から千葉県の学校に転勤。その際、八千代に戻ってきた前北かおるさんと近所付き合いが始まり、そのまま「八千代句会」を創立。「八千代句会」「mixi句会」などで毎週のように句会に参加されている。

また、藤永さんとも「スカイプ」を駆使して句会をされているようで、その鍛錬振りが伺える今回の句群である。

 『一歩』を読んで泰三さんの四つの特徴が表れていると思った。

1.「博多っ子」としての泰三さん

泰三さんは典型的な九州男児である。焼酎に限らず酒類を手にしたら容易に離さない。普段の一歩謙虚な姿勢が打って変わって豪儀な男に変身する。

大空に止め撥ね払ひ秋の雲 泰三

2.「教師」としての泰三さん

 泰三さんは、高等学校の先生である。プロテスタントの学校で宗教を教えていらっしゃる。生徒に対する慈愛の心が溢れており、健康的な詠みっぷりが心地よい。

夏服の少女の手足もてあます 泰三

3.「牧師」としての泰三さん

 泰三さんはプロテスタントの牧師である。教会に属しており、毎週日曜日お勤めを果たされている。また私事になるが下名の結婚式を執り行って頂いた。

 そんな泰三さんの句は、写生句の中に自ずから宗教家としての気分が反映されている。

特に「耕し」「田植」など農耕に関する句が多いが、それらの句の中には「人々の営みと見えざる力」の緊張関係を描かれているように思う。

地の力信じて秋の畑打つ 泰三

4.「父」としての泰三さん

 泰三さんは2児の父親である。子煩悩な父親として家庭で見せる笑顔は大変素敵である。

父と子のままごと遊び秋の暮 泰三

 

 永田泰三さんは常に「夏潮」雑詠の上位を飾っているように、大変堅実な写生句を残す。その為、今回の100句の中にもモチーフとして大変近寄った句が散見された。

今後は、上記の4つの特徴を活かした句を詠み進めて頂くと共に、「武田騎馬軍団の如紅葉燃ゆ」のような俳句にもチャレンジして頂き、泰三俳句の幅を広げて、第一句集にて提示いただければと思う。もしかすると句集のタイトルとして取った「雪楽し一歩一歩を踏みしめて」の句は泰三さんらしからぬ、緊張をしていない緩まった句と思ったが、今後のご本人の進む道を示唆されているのかもしれない。

 

 

『一歩』抄 (杉原祐之選)

日脚伸ぶ頃に生まれて来てくれて

切株に腰かけて春待てるかな

駅を出てそれぞれ家へ春の月

体操着着て休日の田植かな

だまされてをるかも知れず西瓜買ふ

背伸びして妻風鈴を吊つてをり

目を凝らし耳を澄まして蚊を追へる

雨音を聞いてをるなり蟻地獄

莢押して枝豆口に飛ばすかな

雪楽し一歩一歩を踏みしめて

 

(杉原祐之 記)

関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-726.html

 


永田泰三さんにインタビューしました。

永田泰三さんとのQ&A


Q1:100句の内、ご自分にとって渾身の一句

A1:春泥をつんのめりつつ歩むかな

なんともあほらしくて自分では気に入っています。

 

Q2:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

A2:出不精を改めて、どんどん外へ出て行きたいと思います。

 

Q3:100句まとめた感想を一句で。

A3:をちこちを向きて柘榴の膨らめる

磯田和子『花火』鑑賞 (稲垣秀俊)

第零句集2号は磯田和子さん。和子さんの略歴は、杉原祐之さんの鑑賞文と重複するので割愛し、早速句の話に移る。

氷水そっと匙引くこぼさぬやう

季題は「氷水」、かき氷である。露店などで購入すると、コップ形の容器に山盛り入っているため、はじめの一匙には神経を尖らせることになる。大雑把な人であれば全く問題にしない景だが、ここにスポットライトを当てるところに、作者の繊細さを感じる。

磯田さんの繊細な心を窺える句として、さらに次の2句を挙げる。

秋繭の籠れる部屋の薄明り

松虫草人に会ひたる心地して

 本句集のタイトルは『花火』であり、掲載句のなかでこれを季題に用いたものは3句あるが、ここでは次の句を取りあげる。

続けざま揚がりて終ひ花火なる

「終ひ花火」という名詞化には賛否両論ありそうだが、花火大会の一際華やかなフィナーレを捉えた明朗な句だと思う。

 他に10句を選び、以下に記す。

穴まどひ見しと父にも怖きもの

成人の日の立山と対峙せる

大作をかけ終へ蜘蛛の休むかな

運ばれて来ては囃され夏料理

薔薇の芽に棘に濃き赤通ひけり

青といふ色のひときは熱帯魚

残る雪一塊の行き止まり

朝霧の退きつつ雨は本降りに

十薬の花に明るき杉木立

パンジー植ゑ準備完了花時計

 

(稲垣秀俊 記)

「夏潮 第零句集シリーズ Vol.2」磯田和子『花火』

 「夏潮第零句集シリーズ」が始まった。第2号は磯田和子(わこ)さんが登場

 和子さんは、昭和三十六富山県生。洗足大学魚津短期大学時代に、講師として東京から通っていた本井英に師事。その後、平成四年から「惜春」入会、「夏潮」には創刊から参加されている。

 富山の句会では中心的な役割を果たして頂いており、今年の5月含めて毎年のように富山での吟行旅行を企画いただき、楽しい場を提供いただいている。

 磯田和子さんは柔らかな詩人である。その句の特徴は本井英が序で述べている通りである(主宰がこのシリーズの序文を書くのは余り良くないと個人的には思いますが。。。)。

鰺の眼の大きく浅く空を見る 和子

季題は「鰺」。課題句で私が選者した時の句。「大きく浅く」と言う表現に自然豊かな富山に暮らす磯田さんの個性を感じた。

 肩に力を入れない句風である為、平易な言葉遣いで詩をなされている。よって、一部では類型的な句、只事の報告の句も散見されるが、そこを乗越え、今後も「柔らかな心」と「冷静な写生の眼」で磯田さんの第一句集への歩みを楽しみにしていきたい。

その為にキーワードは富山の風土・風俗をもっと積極的に詠み込んで行った俳句を拝見したい。

 

『花火』抄 (杉原祐之選)

若葉風母となる日の近づきぬ

秋繭の籠れる部屋の薄明り

成人の日の立山と対峙せる

雪折れに芽吹く力のありにけり

燕にシャッター少し開けてあり

ふいに手を取られ祭の人込みに

ファインダーはみ出し割るゝ大花火

運ばれて来ては囃され夏料理

ボール未だ載せしまんまに大枯木

目の高さより落ちてくる下り簗

 

(杉原祐之 記)

関係ブログ

俳諧師前北かおる http://maekitakaoru.blog100.fc2.com/blog-entry-702.html

磯田和子『花火』鑑賞 (稲垣秀俊)

 


磯田和子さんにインタビューをしました。

Q1:100句の内、ご自分にとって渾身の一句

A1:「歓声のどんに鎮まり揚花火 和子」

渾身といえるかどうかわかりませんが、句集の題名にしました「花火」を詠んだうちの一句です。

 

Q2:100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。

A2:今までの超スローペースを反省し、サクサクと句を作って行きたいと思います。

 

Q3:100句まとめた感想を一句で。

A3:秋天のクレーンの先の先に雲  和子