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ひとり食めばさみしくなりぬさくらんぼ  天明さえ

 季題は「さくらんぼ」、「桜桃」である。虚子の〈茎右往左往菓子器のさくらんぼ〉は有名だが、「さくらんぼ」の実の大きさ、彩り、茎の長さと撓み、その全てを一枚のスケッチの中に収めて見事と言うほかに言葉がない。一方「桜桃」の語から太宰治の小説「桜桃」を心に思い描くと、「さくらんぼ」の対極にある「何とも言えない、生きること自体の悲しみ」がゆらゆらと立ち上ってくる。

 大きさと言い、色合いと言い、味わいと言い、愛されずにはいない「さくらんぼ」。それらを「手拍子」のように口に運んでは、種を吐き出す楽しい時間。二人で、三人で、四人で摘めば、会話も弾む。そして、つまり「ひとり食めば」・「さみしくなりぬ」は必然の結果なのであるが、誰の心の中にでもある、普段は気付かぬふりをして「跨いで」通る「心のクレバス」に落ち込んでしまったような時間がはっきり描かれていると思った。花鳥諷詠の俳句とは本人すら気付かぬうちに、恐ろしい真理を描くこともある。(本井 英)

雑詠(2019年10月号)

ひとり食めばさみしくなりぬさくらんぼ		天明さえ
亀の子の三角頭あさざ池
風光り先の先まで青信号
初夏の森かぐはしく匂ふかな
墨色をおびし白雲梅雨の晴
突兀として粧へる峰が古			藤永貴之
九輪より降り注ぐ風花楝			釜田眞吾 
急発進してあめんぼの弾き合ふ			前田なな
地下壕の門扉錆付き梅雨寒し			深瀬一舟
					

主宰近詠(2019年10月号)

小暗きに   本井 英


降りしぶき戦 梅雨とぞ申すべき

食べかけがあれこれ老の冷蔵庫

ヨーヨーの影箱釣の箱の底

箱釣の水ぶちまけて駐車場

箱釣の箱立てかけてありにけり



 跨ぎして雪渓の人となる

雪渓をしばらく泥の沓のあと

蹴りあげて午後の雪渓ほとびがち

飯田屋ののれん真白にどぜう鍋

どこまでも先達顔やどぜう鍋



楽しいことばかりの頃のどぜう鍋

夕方のバスで来し人月見草

月見草これも山中湖のはなし

林中に避暑地の中華料理店

起きあがる稽古しているヨットかな



 

こもろ・日盛俳句祭 五句

二の丸で見かけし日傘本丸に 雨止めばすぐ澄むといふ鮎の川 白波の嚙み合ふあたり鮎を釣る 囮鮎送り出すとき膝ゆるめ 小暗きに養はれあり囮鮎

水に落ち水際に落ち桐の花   田中 香

 季題は桐の花。桐は鳳凰がとまる木として古来尊ばれてきた木。一方では箪笥や下駄の材料として大切にされ、その花の紫は遠くからでもその色と判り親しまれて来た。また、降り溜まった落花の香りも印象的だ。一句はその落花の様子を詠んだものだが、「水に落ち水際に落ち」のリズム感が独特で人の心を捉える。正確にはリフレインではないのに、類似した音が短時間に繰り返されるためにリフレインと同じ効果を上げ、さらに「水」と「水際」という異なる状況に落花している「桐の花」を脳裏に描くことで、その花の質量感と色彩感が、ありありと浮かんでくる。

 こう解説すると計算され尽くした措辞のように思うかも知れないが、そうではない。作者には気の毒な言い方になるかも知れないが、それは不意に「口をついて出てきた言葉」に過ぎなかったのだと思う。その思ってもいなかったフレーズを得たときに「これでいける」と判断した作者の力量は評価すべきである。偶然に近い感じで浮かび上がってくる「言葉」をしっかり摑む訓練を怠ってはいけない。(本井 英)

雑詠(2019年9月号)

水に落ち水際に落ち桐の花      田中 香
大いなる波を生みつゝ代田搔く
茄子苗の花一輪を下げて立つ
兜まづ立てゝ捌けり初鰹

震災を重ねて遠き震災忌       前北かおる
ボタ山の天辺まろし鰯雲       櫻井茂之
些細なる諍ひ麦の飯冷えて      山内裕子
無住寺の門に閂柿若葉        皆川和子