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主宰近詠(2020年7月)

みどりの日    本井 英

双蝶にして競ふなる睦むなる

翡翠の行衛まだ見ゆなほ見ゆる

村道に理髪店あり海芋咲く

村道が尽きてそま道落椿

つんつんと紫蘭のつぼみ槍なせる



花芽はやこしらへてある立葵

桑の実のとげとげしさや色いまだ

紫菀萌ゆはらりと驢馬の耳のごと

飴のやうに歪みたる葉やチューリップ

夢の尾のほそり失せゆく朝寝かな



逝く春の絵画館とは窓すくな

そよぎつつひとつばたごの花盛り

スケボーの音のひねもす春惜しむ

入り乱れたる白花や二輪草

鈴蘭の一茎ばかり今年また



へろへろと紫菀若葉や尺余なる

惜しむべき春としもなく過ぎゆくよ

叶はざることのみ多き春は逝く

鉄線の花の切つ先しわみそめ

海ありて松ヶ枝ありてみどりの日

課題句(2020年6月号)

課題句 「蝸牛」       山本正紀選

集音機ひろふ蝸牛の咀嚼音		藤永貴之
竹の皮もろとも落ちぬかたつむり

ででむしののび出し殻の空すけて	岩本桂子
ままごとのの朝餉終はりぬ蝸牛		田中 香
嬰の爪ほどの蝸牛は真珠色		山本道子
でゞむしの雨には角を仕舞はずに	馬場紘二

涅槃図を展じ校内清閑と  前田なな

 季題は「涅槃図」。旧暦二月十五日は釈尊が入滅した日。各寺院では「涅槃図」を掲げ「涅槃会」を営む。「涅槃図」の多くはその中央に釈尊入滅の姿を描き、それを取り囲んで羅漢達が嘆き、さらに禽獣が悲しむ図となっている。

 その「涅槃図」を校内に掲げているということは、宗教的な色彩の強い学校で、教育方針の根幹に「仏の道」を据え、日々心の涵養を説く活動を実践しているものと思われる。あるいは理事者・教職員の中に僧形の方々が立ち混じっておられるのかも知れない。

 そんな学園の中心的な場所に、今年も「涅槃図」が掲げられる時期がやってきて、寒さの極みということも手伝って、そのあたり一帯が「清閑」としているというのである。

 学校というと若い人が集っている状況から活発な喚声を連想しがちだが、こうした静けさを思うと不思議な安らぎを感ずる。これも「涅槃」という季題の側面なのであろう。(本井 英)

雑詠(2020年6月号)

涅槃図を展じ校内清閑と			前田なな
料峭や池底に黒き己が影
潜き合ひ水輪押し合ひかいつぶり
すべり来て石にふくらむ春の水
花びらの筋目いとほし犬ふぐり

薄氷やうち寄せられて積み上がり		矢沢六平
水仙や燈台守の官舎跡			杉原祐之
好き〴〵に火をつゝくかな磯かまど		黒田冥柯
調弦の倍音ぴんと春浅し			田中 香 

主宰近詠(2020年6月)

ひとりの磯遊  本井 英

料峭や病禍地を這ひ海に浮かび

今年また貝母の場所に貝母咲き

下萌の香り充ちたり暁の闇

浜大根の花のむらさき刷毛でちよと

岩跳んで老のひとりの磯遊




雨の輪の明るさにある浮巣かな

浮巣降りたちまち潜き鳰

かづきては交替しては鳰の親

春雨のこまかや保与を降りつつみ
   ※「保与」は「寄生木」の古名

日向水木のちやうちん袖のこぞり咲く



 平杉菜の青を盛り均し

ちりめんのやうに囀峡に充ち

水筋を逸るるあたはず蜷の道

蝌蚪の尾がたてては流し泥けむり

蝌蚪の尾のわらわら揺れてはたと止み




蝌蚪のくろ雲のごとくにわだかまり

昼からは風が走りてつくし原

新旧の養蜂箱を草萌に

蜂うかぶ養蜂箱のあはひかな

こぼれゐて敷くにはとほき落椿