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ぼうたんの散るごとに身を軽うする   田中 香

 季題は「ぼうたん」、「牡丹」(夏)である。中国で「牡丹」は「花の王」、「獣の王」である「獅子」と好一対をなし「牡丹に唐獅子」というコンビを組んでいる。舞踊の「石橋」のような獅子の働く舞台には必ず「牡丹」が副えられるのはそのせいである。

 幾重にも花弁を畳み込んで咲き始めた「牡丹」。その「牡丹」の花弁も徐々に緩み始め、ついにはハラリ、ハラリと花弁を脱ぐ。その様子を作者は「身を軽くする」と見てとった。一枚一枚散り墜ちて行く花弁を、只々惜しむのではなく、「身を軽くする」と、肯定的に表現したのである。勿論「肯定」と言ってもさばさばとした諦観に通じるもので、その辺りに「生きる」ということの本質を垣間見させてくれる。「軽う」のウ音便も全体の柔らかい表現に叶っている。 (本井 英)

雑詠(2020年9月号)

ぼうたんの散るごとに身を軽うする	田中 香
擬宝珠やブロック塀に菱の窓
傾がざるものなかりけり花擬宝珠
側溝に根付きし草や五月雨
ビオトープ溢れしめたる五月雨

ぽろぽろぽろぽろたんぽぽへ山羊の糞	前田なな
寝そべれば仔馬は薄し草青し		冨田いづみ
香のもとへ辿り着きたり桐の花		三上朋子
よるべなき身や満開の花仰ぐ		久保光子

主宰近詠(2020年9月号)

生かされて     本井 英

ひばかりの胴のほそぼそ水中に

ひばかりの色の淡さもいとけなや

ひばかりのつるりと小さき幼な顔

木耳の重さずしりと布袋

木耳も売つてをるなり滝見茶屋



毛虫焼けば数珠繫がりに墜ちにけり

ますらをの白や泰山木の花

青葉山躙りそめたり解纜す

切り裂かれ夏潮白き舳かな

しらしらと吹きひろごりぬ青田風



青田風安房もここらは米どころ

槇垣をつらね海水浴の村

富山(トミサン)の双耳は霧に時鳥

廃 てられて百合なほ咲けるハウス脇

夏潮の微塵にくだけ真白にぞ



青嵐沼面へ叩きつけにけり

念をおすやうに鶯老を啼く

緑蔭の径また次の水音へ

夏燕沼面を蹴りて跳ね上がり

生かされて護られて炎天に立ち

課題句(2020年8月号)

課題句「流星」         信野伸子 選

星とんで言葉一つをのみ込みし		岩本桂子
流星暗き蟹座の辺りより

億万を終はらむとして流星に		山口照男
満目の星々のなか流れ星		藤永貴之
島畑の空の広さを流れ星		本井 英
山峡の空の深さや星流る		山内裕子

平日を子どもと過ごす桜餅    永田泰三

 季題は「桜餅」。関東風の小麦粉をうすく焼いた物と関西風の道明寺粉で作る物があるが、近年はどちらもよく出回っている。東京では墨東長命寺のそれが、別格官幣大社のごとく大切にされている。どんな理由があったのかは分からないものの、本来家居をすることの極めて少ない、その家の主人と、これまた平日は学校に通って居るはずの子どもが、朝から家でごろごろしていた午後、気を利かせた主婦が買い物の序でにでも「桜餅」を買ってきて、家族皆で喰ったというのである。「こんなことって、珍しいねえ」などと言い合いながら、音をたてて茶を啜ったりもしたことであろう。そんなポンと現れた「現実」のなかでの団欒が面白い。

 こう解説してくると、この春の所謂「コロナ禍」を言っているのですよ、という解説をする人が現れるであろう。たしかに一句が詠まれたきっかけはそんな処であろうと思う。しかし、「コロナ禍」を説明するための句であると考えては「つまらない」。それでは只の謎解き「はんじもの」である。それはそうかもしれないけれど、味わうべきは「桜餅」のあの柔らかい色合いと甘みと感触と、珍しい状況を楽しんでいる、「家族の静けさ」である。 (本井 英)