平日を子どもと過ごす桜餅    永田泰三

 季題は「桜餅」。関東風の小麦粉をうすく焼いた物と関西風の道明寺粉で作る物があるが、近年はどちらもよく出回っている。東京では墨東長命寺のそれが、別格官幣大社のごとく大切にされている。どんな理由があったのかは分からないものの、本来家居をすることの極めて少ない、その家の主人と、これまた平日は学校に通って居るはずの子どもが、朝から家でごろごろしていた午後、気を利かせた主婦が買い物の序でにでも「桜餅」を買ってきて、家族皆で喰ったというのである。「こんなことって、珍しいねえ」などと言い合いながら、音をたてて茶を啜ったりもしたことであろう。そんなポンと現れた「現実」のなかでの団欒が面白い。

 こう解説してくると、この春の所謂「コロナ禍」を言っているのですよ、という解説をする人が現れるであろう。たしかに一句が詠まれたきっかけはそんな処であろうと思う。しかし、「コロナ禍」を説明するための句であると考えては「つまらない」。それでは只の謎解き「はんじもの」である。それはそうかもしれないけれど、味わうべきは「桜餅」のあの柔らかい色合いと甘みと感触と、珍しい状況を楽しんでいる、「家族の静けさ」である。 (本井 英)

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