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剣玉と塗り絵と金魚外は雪 児玉和子(2013年5月号)

 季題は「雪」。「外は雪」というのであるから、室内を詠んでいるのである。その室内にある物は、「剣玉」と「塗り絵」と「金魚」。「金魚」は夏の季題とも成る言葉であるが、「外は雪」という状況に中では季題としては働かない。そして「剣玉」からは男の子が、「塗り絵」からは女の子が連想され、さらに「金魚」からは親御さんの姿も思い浮かべることができる。つまり「若い一家」が「外は雪」の状態に置かれているのである。勿論、庭へ出て「雪達磨」作ってもいいし、「雪合戦」をしてもいいのだが、それは一時のこと。しばらくすればまた、家の中に入って、ガラス越しに外を見ている。今どきの家庭だと、ここで「テレビ・ゲーム」に興じる子供の姿も見えてきそうだが、そんなものを子供に与えない見識のある親御さんもあろう。

 一句の中には名詞と助詞があるばかり、動詞、形容詞といった用言がないことが、全体をすっきりさせている。当然、その辺りの効果も考えての措辞である。 (本井 英)

雑詠(2013年5月号)

剣玉と塗り絵と金魚外は雪		児玉和子
大雪となりし留別句会かな
万両の朱は見えをり衾雪
寒風や鋤簾を干して人ト気なく
龍の玉こぼれて皺みたるもあり

逢うて相擁してよりや御慶のぶ	岩本桂子
割箸でつまめば硬し土瓶割		藤永貴之
雪降つてくる雪空の中途より		青木百舌鳥
海面の一枚めくれ卯浪なす		前北かおる

冬紅葉映して水の伸び縮み 前田なな (2013年4月号)

 季題は「冬紅葉」、傍題に「残る紅葉」がある。近年は地球温暖化の影響か「紅葉」の色づきが全体的に遅いようで、関東・関西などは、むしろ立冬過ぎのほうが紅葉の美しさは際だっているようにも感ぜられる。このあたり「歳時記的」には実は大きな問題を含んでいよう。ともかく、特に東京あたりでは「冬紅葉」こそ愛ずるに足る美しさになることは確かである。その「冬紅葉」を映しているのは池。早くも水鳥がやってきているのか、時折、細波が池面を揺らしている。そのたびに「冬紅葉」の「赤」はギューッと引っ張られたり、ギュッと縮められたり。美しい色模様を見せてくれる。一つの景を、辛抱強く凝視した結果、ご褒美のように賜った一句といえよう。 (本井 英) 

雑詠(2013年4月号)

冬紅葉映して水の伸び縮み		前田なな
安産の絵馬まん丸や宮小春
また冬日さし来隠沼膨らみ来
数へ日や散髪へ出す夫と子ら

独り身なれば数へ日にテニスなど	天明さえ
都鳥引きつれ水上バスが来る		北村武子
枯木中鍵のかかりし水行場		水垣道子
痩尾根の恐かりしこと寄鍋に		児玉和子

主宰近詠(2013年5月号)


鷽の夫婦  本井 英

雪晴のカーブミラーに映る村

二十数本の氷柱や潤び垂れ

雪折を剪り下ろしたる鋸屑ぞ

公魚を背中合はせに穴に釣る

味噌汁が公魚釣に届きけり



ジグザグに声降りてくる梅の丘

点睛は奥村土牛龍に春

いちご狩賑はつてゐる梅の村

ガレージに押しつけながら野梅咲く

右耳にずつと春濤渚ゆく



干し上げて若布本  ありにけり

うららかに席のうまりて始発駅

朝日まだ及ばぬ溝の底に芹

姐御然腰元然や針供養

午後はもうミシンに向かひ針供養



山笑ふ横須賀線もこころより

おいなりさん買つて帰りて春炬燵

下萌を梨の枝影這ひまはり

古民家をつぎつぎ閉ざし日永かな

庭桜鷽の夫婦に目つけられ

           (一部「俳句」四月号と重複)