季題は「初嵐」。『虚子編新歳時記』では「野分の前駆のやうな風が秋のはじめに吹く。それを初嵐といふ」とある。『毛吹草』などでは、秋七月とし、連歌書の『梵燈庵袖下』には「七月一日に吹く風の名なり」とあるという。気象学的に理由のあることかどうかは不明だが、ともかく「野分」(おそらくは台風)の前兆を思わせる初秋の風を、恐れを持って眺めた昔の人々がいたのであろう。一読不思議に思えるのが「島へ行くバス」という件。昔なら考えも及ばない話だが、近年の土木技術の進歩から、随分と離れた島にも「橋」がかかり、定期バスが通っているなどというのは普通の景色となった。その「島行き」もバスが、今日は「空っぽ」だったというのである。どんな事情であるのかは不明だが、ともかく真夏の間は「観光客」や「海水浴客」で賑わっていた「島へ行くバス」が、暦の上の「秋の訪れ」で、もう減り始めたようにも思えたのであろう。「秋の訪れ」の小さな変化をも見落とさない「俳人」らしい視線が感じられて面白かった。(本井 英)
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雑詠(2024年12月号)
島へ行くバスは空つぽ初嵐 宮田公子 蜑路地の軒の底さを夏燕 傾ける納屋にかぶさり凌霄花 夏帽子杭にかかりしまま三日 半時の遊船なれど手を振つて 塩川孝治 鶏の声の細れる残暑かな 町田 良 みしみしと雷雲の押し寄せて来る 山内裕子 おくずかけずんだ作りてお盆かな 幕田かれん
梅雨烏かあ北一輝顕彰碑 田中温子
季題は「梅雨烏」。とは言っても『虚子編新歳時記』にも、『ホトトギス新歳時記』にも、角川の『俳句大歳時記』にも立項されてはいない。従って季題としては「梅雨」とすべきなのかもしれないが、気分としては「梅雨烏」なる「あるもの」が居るように思えてならない。「烏」だけでは当然季題にならないが、「初烏」、「寒烏」は立派に季題として大いに人々の「花鳥諷詠心」を刺激してくれている。それは「如何にもそれらしい」という気分が人々の心に湧くからである。それは恐らくどこかで「烏」が「人間」の心を代弁してくれるからに相違ない。「初烏」も「寒烏」も然りだ。そこで「梅雨烏」。なるほど「ものに倦んだような」、「どこか無気力」な感じは「梅雨烏」にまとわりつく。このあたりが「梅雨烏」が季題であっても不思議がない所以だ。「梅雨烏かあ」の表現にも工夫が凝らされている。この「かあ」の何と無気力な「音」であることか。さて一句の問題点は「北一輝」。「顕彰碑」(たしか目黒不動の境内にあったか)が建つくらいであるから大人物には違いないのであるが、普通の人は「二・二六」に深く関わった思想家、くらいの認識であるに違いない。民間人であるにも関わらず軍事法廷で裁かれて死刑に処せられたことまでは知らない人が多いだろう。かく記す筆者も、それ以上のことについては確証はなにもない。しかし、近代史の「なんか、もやもやした気分」の中に忘れ得ぬ「人名」として消しがたく存在している。それがまさに「梅雨烏かあ」なのだと思う。一句の中心は「北一輝」では無い。どこまでも「梅雨烏」のこみ上げるような「かあ」である。(本井 英)
雑詠(2024年11月号)
梅雨烏かあ北一輝顕彰碑 田中温子 剝落の仁王の像や梅雨深し 青胡桃やうやく雨の上がりさう 蛇の目と五十センチの間合ひなる 帰省して小中高と連れ回し 矢沢六平 夏空も分かち大陸分水嶺 今井舞々 畳みたるごと噴水の落ちにけり 田中 香 岩かどにかくれあらはれ三十三才 藤永貴之
しばらくは掃くこと勿れ沙羅の花 根岸美紀子
季題は「沙羅の花」。「夏椿の花」である。木肌の滑らかな高木で、椿に似た、単弁の一日花をつける。インドの沙羅双樹とは全くの別種である。白い「一日花」を毎日降らすので、木の辺には毎日落花の「白」が降りたまって印象的である。作者はその「降りたまる」風情を楽しもうと、「掃かない」で欲しいと願っているのである。表現としては、中七を「掃かずにほしい」でも「掃いてくれるな」でも、作者の心持ちは通じるが、「掃くこと勿れ」とやや古風に表現したところに、「沙羅の花」の風格が見えてきて、好ましい句となった。「勿れ」は「なくあれ」の約だが、「君死にたまふこと勿れ」などの詩句も思い出される。直接、誰かに発せられた言葉ではないが、虚子の言う「存問」の句で、俳句という文芸の至り着いた境地と言える。(本井 英)