梅雨烏かあ北一輝顕彰碑 田中温子

 季題は「梅雨烏」。とは言っても『虚子編新歳時記』にも、『ホトトギス新歳時記』にも、角川の『俳句大歳時記』にも立項されてはいない。従って季題としては「梅雨」とすべきなのかもしれないが、気分としては「梅雨烏」なる「あるもの」が居るように思えてならない。「烏」だけでは当然季題にならないが、「初烏」、「寒烏」は立派に季題として大いに人々の「花鳥諷詠心」を刺激してくれている。それは「如何にもそれらしい」という気分が人々の心に湧くからである。それは恐らくどこかで「烏」が「人間」の心を代弁してくれるからに相違ない。「初烏」も「寒烏」も然りだ。そこで「梅雨烏」。なるほど「ものに倦んだような」、「どこか無気力」な感じは「梅雨烏」にまとわりつく。このあたりが「梅雨烏」が季題であっても不思議がない所以だ。「梅雨烏かあ」の表現にも工夫が凝らされている。この「かあ」の何と無気力な「音」であることか。さて一句の問題点は「北一輝」。「顕彰碑」(たしか目黒不動の境内にあったか)が建つくらいであるから大人物には違いないのであるが、普通の人は「二・二六」に深く関わった思想家、くらいの認識であるに違いない。民間人であるにも関わらず軍事法廷で裁かれて死刑に処せられたことまでは知らない人が多いだろう。かく記す筆者も、それ以上のことについては確証はなにもない。しかし、近代史の「なんか、もやもやした気分」の中に忘れ得ぬ「人名」として消しがたく存在している。それがまさに「梅雨烏かあ」なのだと思う。一句の中心は「北一輝」では無い。どこまでも「梅雨烏」のこみ上げるような「かあ」である。(本井 英)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.