島へ行くバスは空つぽ初嵐 宮田公子

 季題は「初嵐」。『虚子編新歳時記』では「野分の前駆のやうな風が秋のはじめに吹く。それを初嵐といふ」とある。『毛吹草』などでは、秋七月とし、連歌書の『梵燈庵袖下』には「七月一日に吹く風の名なり」とあるという。気象学的に理由のあることかどうかは不明だが、ともかく「野分」(おそらくは台風)の前兆を思わせる初秋の風を、恐れを持って眺めた昔の人々がいたのであろう。一読不思議に思えるのが「島へ行くバス」という件。昔なら考えも及ばない話だが、近年の土木技術の進歩から、随分と離れた島にも「橋」がかかり、定期バスが通っているなどというのは普通の景色となった。その「島行き」もバスが、今日は「空っぽ」だったというのである。どんな事情であるのかは不明だが、ともかく真夏の間は「観光客」や「海水浴客」で賑わっていた「島へ行くバス」が、暦の上の「秋の訪れ」で、もう減り始めたようにも思えたのであろう。「秋の訪れ」の小さな変化をも見落とさない「俳人」らしい視線が感じられて面白かった。(本井 英)

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