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花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第44回 (平成17年10月7日 席題 案山子・秋の声)

神おわす峰へ歩一歩秋の風

 神おわす山はどこでもいいんです。神の山と言われる山はたくさんありますけれど、そんな頂上にはお社があるような、そんな峰に向かって、かみしめるように一歩一歩登っていった。その自分たちを秋風が絶ゆることなく吹き晒してをる。ということになるんだと思います。この作者の他の句からすると、熊野ということもあるのかもしれないけれども、神と言えば神、仏と言えば仏。権現ですから。ま、虚子先生に「神にませば」の句があるから、神でもいいんでしょうが、この句だけ見ると、熊野というよりもっと急峻な峰を思いますですね。

唐黍の赤毛を垂らし案山子かな

 これ、面白いですね。一昔前だったら、赤毛を案山子に垂らすなんて、思いも寄らないことで、色が違うことに抵抗を感じたんだろうけれど、もはや、茶髪、金髪、何髪でもありの世の中になってみると、唐黍の赤毛もそれはそれで妙に現代的な面白さがあるじゃあないか。と、これは不易流行で言うと、流行の句かもしれませんですね。面白いと思います。

富士を背に土手にいっぱい彼岸花

 これ、先ほど、ちらっと申し上げましたけれど、本当に新幹線であの辺、彼岸花が多いんですね。ちょっと高い土手を見上げてをったら、土手いっぱいに彼岸花があって、その先に今日は雲なく晴れて、富士山がくっきりと見えてをった。

曼珠沙華刈り残されて畦に咲く

 これもいいですね。「曼珠沙華刈り残されて畦に燃ゆ」とやりそうだけれど、それをやってはお仕舞い。それを愚直に「畦に咲く」となさったところに、好感を持ちました。刈られたものもたくさんあるんだけれども、刈り残されたものもある。こう言われてみると、刈られたものも見えてきますね。面白い句でした。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第43回 (平成17年10月7日 席題 案山子・秋の声)

明月や人の影ある窓一つ

 いいですね。わざわざ明るい月と書いて、「明月」。名のある月というと、いかにも十五夜ということにこだわっ た言い回しになりますが、明るい月というと、十五夜でなくてもいい。十三夜でも十四夜でも、十六夜でもいいんでしょうね。明るい煌々とした月を見て、あ あ、きれいだなと思った。集合住宅かもしれません。灯っている窓がたくさんある中で、ある窓には人影があった。ああ、私と同じように明月を仰いでいるかも しれないと思った。「ここにもひとり月の客」という句ですね。

渓谷を行きて戻りて秋の声

 これ、面白いですね。等々力渓谷って すぐ思ったんですが、つまり渓谷と言っても、川音がざーざーとするのでなくて、地底に籠ってしまったような、下に掘り下がってしまったような、そんな峡 谷。そんなことを感じました。グランドキャニオンだって構わないんですけれどね。ともかくある所まで行って戻ってきた。そんな地の底にもぐったような峡谷 に秋の声が満ち満ちてをった。というのがよくわかる句だなと思います。

傾きて口のへの字の案山子かな

 元の句、「傾きて口をへ の字の」。「口のへの字の」の方が、面白いかもしれません。「口を」だと、理屈が付いてしまう。「口をへの字」というと、案山子が自分で口をへの字に曲げ たという見立が入ってしまう。それに対して、「口のへの字の」というと、案山子が自分の意志でへの字にしているのでなくて、書いた人がへの字に書いている ので、どこまでも無機質にへの字になっているということを言っていることになる。そこが面白いと思う。

水引の花それぞれの雨の粒

 こういう素直な句が、素直に出来るというのが大切なことで、その点を推賞したいと思いますね。