解体のビルの大穴冬の晴
この句、すごく面白かったですね。どこかちょっとしたビルから隣の解体のビルを見たら、囲っている下が異様に空いていて、はは、そのことなんだということに気がついた。常識とか先入観をとり払って、言われてみればそういうことなんだよな。持ってくる季題が、「冬の晴」というのが、面白かったですね。「炎天」とかでは、辛くなってしまうし、「うららか」では、ビルは大きな穴の感じはしないし、「冬の晴」という感じが確かに面白いと思いますね。
今日の酒辛し白魚ほの甘し
元の句、「今日の酒辛く白魚ほの甘き」。「辛く」とすると、説明っぽくなってしまう。「辛く」だと、「今日の酒。」では「昨日の酒は?」となってしまう。いやなことがあって、「今日の酒は辛いな。でも、白魚が甘いから、まあいいか」という感じがする。「今日の酒辛く」にすると、「昨日の酒、一昨日の酒」が連想される。いいようだけれども、「白魚」が目に見えてこない。一中さんの心持ちは表に出るけれども、白魚がかすんでしまう。俳句は季題が表に出ないといけないから、「今日の酒辛し白魚ほの甘し」とした方が、白魚が生きますね。
早茹での菊菜の皿の青さかな
「菊菜」、「春菊」ですね。春菊というのは、匂いも強いし、色も若干がさつで、たとえば水菜などに比べると、一等位が低いと僕などは思っているんだけれども、でも、その春菊の皿が青々と見えたというのは面白いなと思います。香りの強さ、色の強さ、春菊の力強さがあっていいですね。
残寒に句友また一人帰らざる (訃報届く)
「句友また一人」、この字余りはいいんです。これが五・七・五ですっと行ったら、つらい思いは伝わりませんですね。わざわざ中七を字余りになさったことで、亡くなった方への哀惜の念が強くなると思いますね。
湧き水の湧き口あたり落椿
元の句、「湧き水の湧き口に浮く」。これね、皆さん、たくさん採っていらしたけれど、本当にそうかしらね。湧き水の湧き口に浮いていられるかしら。流れちゃうでしょう。だから湧き口には浮いていないんですよ。湧き口近くに引っかかっている。物理的に大変むずかしい状況だけれど、「湧き水の湧き口あたり」とすれば、湧き口のところに水が湧いているけれども、何かの事情で引っかかった落ち椿が浮いてをったという景になるんですね。俳句は嘘は困る。作者が嘘をついているというわけではないけれど、表現がまずくて嘘になってしまう。これはまずい。
賑やかに梅見の人等旗立てて
元の句、「梅見の一団」。この字余りはよくない。しかもこの「の」が説明っぽくしている。旗を立てているんだから、おのずから一団でしょう。そしたら、人等でいい。「一団」ていうのは、屋上屋を重ねた表現になってしまう。普通の人達ではないな。00歩こう会とか、X X 老人会だなと。そうすると、しみじみとした梅見ではなくて、ちょっとしゃべりながら歩いての梅見。