肌寒やともしび映る渋谷川 児玉和子(2015年3月号)

 「肌寒」という虚子の小説もあった。「やや寒」、「うそ寒」、「そぞろ寒」と微妙にニュアンスを違えながら類似の季題が廃れずに、それぞれに存続するところに俳句の面白さがあるとしみじみ思う。一句の「味わいどころ」は「渋谷川」。固有名詞がキーワードであるということは、読む人によって脳裏に描く景色に差異が出るようで若干の不安は残るが、所詮言葉とは「不安定」なものであると、腹を括って鑑賞してみよう。

 「渋谷川」の本来の呼び名は「古川」。現在は渋谷駅付近で地上に現れ、恵比寿、天現寺、一の橋、赤羽橋を経て芝の海に注いでいる。渋谷駅より上流は全て暗渠になっていて確たることは分からないが、新宿御苑の御池、明治神宮の清正井、さらには代々木八幡の方面へはかつての宇田川がたどれる筈である。宇田川は童謡「春の小川」のモデルになった流れとも語り伝えられており、往時の美しさ長閑さが偲ばれる。

 また渋谷と言えば明治時代、まだ渋谷村だった時代に鉄幹・晶子が東京新詩社を営んだ場所としても有名。その後東京の近代化と共に東急電鉄のターミナル駅として発展した。筆者が小学生のころは、出来たばかりの五島プラネタリウムを見に鎌倉から「上京」したものだ。その後さらに変化、今や「若者の街」として、我々老人に対しては拒絶の顔を見せつつ繁栄している。

 これらの想いをすべて担って「渋谷川」という地名がある。今の川の姿は深く抉られたような「窪み」であり、底に若干の水が流れる。その僅かな「水」に周辺の「ともしび」が映っているというのである。その景から「肌寒」という季題が思われると言うだけで、作者の「年齢」が感じられる。「若い人々」とは無縁の景色に違いない。(本井 英)