「夏潮 第零句集シリーズ 第2巻 Vol.8」石神主水『神の峰』~ちよと甘めに~
・
「夏潮第零句集シリーズ」の第2巻第8号は、石神主水さんの『神の峰』。
石神主水さんは昭和四十八年千葉県鎌ヶ谷市生まれ。大きな梨畑に囲まれて過されてきた。慶応義塾大学入学後、俳句研究会に入会。代表などを務める。学業も考古学を専攻し、現在はその道のスペシャリストとして知る人ぞ知る学者であられる。慶應義塾大学には博士課程まで所属していたこともあり、幅広い世代の後輩の面倒を見てこられた。私もその面倒を見て頂いた一人である。
私は常々主水さんからしっかりものを見ることの大切さを教わってきた。それは考古学というまさに時空を越えた「もの」を扱う分野を志す学者としての視点であろうか。その一で大変ロマンティックな輝かしいような、甘いような句も多い。しかしながら、それらの句の多くは甘くなり過ぎないよう抑制されている。それは何故なら、季題の斡旋が的確であり、一区の中でその重みを失っていないからであろう。
主水さんはキャリアの中で、本井英のほかにも、高木晴子氏、高田風人子氏などにも師事しており、その教えの中で個性を発揮されているのだろう。
下闇の先ゆく君の腕白し 主水
→季題は「下闇」。「君」とは彼女であろう。主水さんの俳句には「君」が頻出する。この句は甘いだろうか、確かに甘い。しかしながら、「下闇」という周りが明るいからこそいっそう暗く感じる場所、そこに浮かぶ女性の腕の白さということで、何とも言えぬエロティシズムを表現することに成功している。
店じゆうがイルカ見にゆき春の潮 主水
→季題は「春の潮」。この句もエロティシズムを感じる。特に上五の「店じゆうが」にである。「春の海」ではなく、「春潮」にイルカという可愛らしく知的な哺乳類が泳いでいる。ただ漂っているのではなく、イルカは海面を跳ねたりしかなり動きがある。そんな愛らしいイルカを見に他のお客が出払ったお店に二人だけ残った「僕」と「君」。
枯芝のベロアの如き起伏かな 主水
→季題は「枯芝」。ベロアはVelour と呼ばれるビロードに似た毛皮の素材。枯芝の丘に冬日が差し込んできてる。その日差しは角度があり、枯芝の丘の起伏を艶々と照らしている。この句もそこはかとなきエロティシズムが存在している。
御伴侶やご子息も得られ、学業でもご多忙な用であろうが、句作のペースを保ち早期の第一句集の刊行を心待ちにしたい。
その他、印をつけた句を以下に紹介したい。
負け蛍ぽつりと一つ葉ごもりす
大根の干され始めの白さかな
梅の香のわつと山門ぬけて来し
永き日の磨きこまれし廊下かな
春浅し発掘現場砂嵐
幸せな恋などなくて業平忌
芝区てふ表示のありて四葩かな
大花野行けば誰かに逢へさうな
枯芝のベロアの如き起伏かな
自炊部に野太きつららありにけり
西の空見る蚕豆のゆでるまで
長き眉引きさめざめと泣く師走
古伊万里のかけら打ち寄せ春浅し
山眠るけもののごとき肌もて
湖に向く村の惣墓班雪
神の峰霧生れてまた霧生れて
(杉原 祐之記)
石神主水さんにインタビューを行いました。
Q1;100句の内、ご自分にとって渾身の一句
→雛くるむ古新聞の昭和かな
渾身というか、明治・大正と来て、ついに昭和も遠くなったなぁと思うと感慨深
い句です。
Q2;100句まとめた後、次のステージへ向けての意気込み。
→第一句集の刊行。。。還暦くらいかねぇ(笑)。
Q3;100句まとめた感想を一句で。
→春風に新しき歩を踏み出して 主水
〆