第4回黒潮賞・親潮賞「招待席」鑑賞 (杉原 祐之)

第4回黒潮賞・親潮賞「招待席」鑑賞 (杉原 祐之)

 

 恒例の通り1月号に本井英主宰の選による「黒潮賞」「親潮賞」の結果が発表されました。山内裕子さんが「黒潮賞」を、前田ななさんが「親潮賞」を受賞されました。大変おめでとうございます。さすが俳句巧者の20句で楽しませていただきました。

 さて、当HP用原稿として過去3回の黒潮賞受賞者に、第4回の両賞の感想について原稿をお願いしました。そうしたところ、ある方よりご自分たちが出句されている「招待席」について、一切の反応が無く寂しいという指摘を受けました。私に歴代受賞者の方の出句を評する資格はございませんが、勝手に6人の方の作品各5句より数句ずつ鑑賞させて頂きましょう。 

・前北かおる「林檎と秋風」

前北さんは第一回黒潮賞受賞者。能天気とも思える明るい句柄と、前向きな俳句と、確かな写生の融合が独特の世界を形成しています。

透きとほる蜜の黄金や玉林檎 かおる

→季題は「林檎」。前北さんは食べ物の俳句を実に美味しそうに読む巧者ですが、この句も余すことなく最近の林檎の甘いとろとろの様子を描き出しました。黄金とまで言い切ったところが結構だと存じます。

 

梢より鳩を剥がして秋の風 かおる

→季題は「秋の風」。雰囲気のある句の様ですが、「秋風が鳩を剥がす」は面白がりすぎかと思います。

秋風と「剥がす」のミスマッチを狙われたのでしょうか。

 

・藤永貴之「忙中閑」

藤永さんは第二回黒潮賞受賞。福岡での「夏潮」の活動の中心を担って頂いています。静かな態度で季題に向かい、慎重に選ばれた言葉から紡ぎ出される俳句は、夏潮誌上でもつねに輝いております。

春雨の若草山をまのあたり 貴之

→季題は「春雨」。静かな光景です。余計なことを何も言わず眼前の景を淡々と描いた。それでいて余韻の深い俳句になっています。

藤永さんらしい静的かつ知的な視線で対象が描かれています。

 

風が撫で魚が掻き混ぜ水温む 貴之

→季題は「水温む」。春先の物事が動き出す雰囲気を伝えている句ですが、動詞が多すぎて狙いがはっきりしすぎてしまっているかもしれません。

悪いというわけではないのですが、もっと詠い方の可能性があると思いました。

 

・櫻井茂之「屋台より」

櫻井さんは第三回黒潮賞受賞者。鷹の渡りを詠んだ連作は印象的でした。今回は博多中洲名物の屋台を題材にされたようです。

 

あたため酒は月明かり酌むごとく 茂之

→季題は「温め酒」。上五の「あたため酒」というちょっと舌足らずな字余りが、中七下五に続くほのぼのとしたレトロチックな景に対して有効に働いていると思います。

 

注がれて昭和の色の温め酒 茂之

→同じく「温め酒」が題材です。中七の表現が全てでしょうが、読者に「分ってくれ」という感じが強く出すぎてしまっています。5句目ですので、お酒が過ぎてしまい少し甘くなられたのかもしれません。

 

・清水明朗「朝時雨」

清水さんは第一回親潮賞の受賞者。学校の校長先生をなさっていたという温かい人柄から滲み出る写生句は何時も楽しく拝見させて頂いております。

 

新聞の来ぬ日の無聊朝時雨 明朗

→季題は「朝時雨」。引退されて「毎日が週末」のお暮らしなのでしょうか。習慣となっている新聞が来ないある月曜日の朝、そうか今日は新聞休刊日かと思い空を見上げるとぱらぱらと時雨れてきたということです。普段と違う朝の時間の使い方を楽しんでいられる様子が分ります。

 

配達の娘に林檎持たせやり 明朗

→季題は「林檎」。「配達の娘」というのが、具体的にどういう情景なのかわかりませんでした。宅配便の係がお嬢さんだったということでしょうか。林檎を渡すくらいの関係ですから、非常に馴染みのある親戚の娘さんと言うことでしょうか。後者だとすると「配達」がしっくり来ないと思いました。

 

・児玉和子「秋祭」

第二回親潮賞受賞者です。数々の巻頭を飾るなど「夏潮」を代表する俳句巧者であります。また季題や表現について常にストイックに考えるその姿勢は大変勉強になります。

 

秋風の末社拝む女かな 和子

→季題は「秋風」。中七を「末社に拝む」ではなく、そこできっぱり切ったことで景が立ちました。写生の表現が練られた一句です。

 

ドキンちゃんのお面人気や秋祭 和子

→季題は「秋祭」。ドキンちゃんが悪いわけではないですが、和子さんの句ではないと思います。秋祭りのローカル感を表現されるに当り、ドキンちゃんに喰われてしまった感じがします。中七の表現も具象性を欠きます。

 

・田島照子「茅舎の坂」

田島さんは第三回親潮賞受賞者。キリスト教への信仰がその写生の奥から滲んで来ることがあります。今回は大田区池上に残る川端茅舎の旧居を訪うた際の句の連作となっているようです(http://otaku.edo-jidai.com/424.html)。

 

龍子邸出て茅舎居へ露の身を 照子

→季題は「露」。清冽な才能を持ちながら若くして亡くなった茅舎。「露」という言葉がピッたくる俳人です。お年を重ねられたわが身を重ね合わせ感慨に浸っているという句です。茅舎居は「青露庵」と呼ばれています。ゆっくりゆっくりと本門寺周辺の坂道を登られていったのでしょう。

 

とどまれる露一とつぶの静けさよ 照子

→同じく「露」。静かで良い句ですが季題の説明になっている危惧もあります。私のようなものではまだ分りませんでした。また、「一とつぶ」はかなの方が良かったと思います。ちょっと違和感がありました。

 

以上、6名30句から12句を鑑賞させて頂きました。全体としてはさすが結社賞を受賞されていることだけあい、高いレベルで安定しつつ、それぞれの目指す俳句を花鳥諷詠の本道から外れない範囲で表現されていると思いました。何れも奇を衒うことがないしっかりとした俳句ということでしょう。選考会で英主宰が述べられた「丁寧で誠実な写生」が大事であるということを30句から改めて理解することが出来ました。

 また、蛇足ですが今回「紙幅の都合」で親潮賞・応募作の総評が割愛されたのは大変残念でした。編集側と調整して1ページも確保できないものだったのか、雑誌を読んでいて思いました。私のような落選常連者からすると、やはり主宰に一声掛けてもらうことが次回へのモチベーションに繋がるというものだと思います。

勿論、選句をしていただいているので、そこから自ら主宰の言葉を感じることも大切だと思います。何れにせよ自分でテーマを持って挑戦できるということは幸せなことです。落選者については何度でもそのような機会が与えられる、と前向きに解釈して今年も一年間精進して参りたいと存じます。

第4回黒潮賞・親潮賞「招待席」鑑賞 (杉原 祐之)」への3件のフィードバック

  1. かおる
    コメントありがとうございます。 「鳩」の句は、北風とか寒風の世界かもしれませんね。 また似たような景に出会った時に俳句にしてみたいと思います。
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  2. 清水明朗
    思いかけぬ温かいコメントを書いて頂きありがとうございます。未だに自分の親潮賞が信じられぬ思いと、一種の責任を感じています。1句目はご鑑賞の通りです。2句目はご指摘の『娘』は自分でも表現の無理があったと思います。実は毎週月曜日の朝ヤクルトを配達に来る女性で、お子さんが二人おられ、たまたま長野から送られてきたリンゴを『お子さんへ』と言ってあげたのです。そのお母さんも若く可愛いのです。2月1日明朗
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  3. 祐之 投稿作成者
    かおる様、明朗様 コメント有難うございます。ひと様の俳句に対しては結構いろいろと言えるのですが、肝心の自分の俳句が全く行き詰ってしまっており、コメントすること自体がおこがましい状態だと自分のことを認識しています。 皆様からもどしどしご意見を頂けますようお願いします。
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