ばば様のお部屋の前の実南天 宮田公子

 季題は「南天の実」。「南天は十月頃から丸い深紅な実を房々と垂れて花の乏しくなりかけた庭を飾る」と歳時記にはある。西洋のそれらとは異なるものの、ある「華やかさ」に包まれたものと言えよう。「ばば様」はその家の「刀自」、先代の主婦であり、当代の母上といったところであろう。わが日本は、もう何十年も「核家族」化が進行して、かつてのように一つの家に何世代もの人間が暮らすことが無くなってしまった。「良い悪い」ではなく、そのような選択をした結果であるから仕方がないのだが、その影響で「さまざまな暮らしの場面」は激変した。この句の「ばば様のお部屋」など、あまり見かけないものの一つだ。所謂「隠居所」・「隠居部屋」。狭いながらも小庭に面した「隠居部屋」では「ばば様」が静かに、縫い物をしたり、新聞を読んだり。必要な折には広間にも出張って来るが、普段はいるのか、いないのか。子供達も「ばば様」の「お部屋」の前は静かに通り過ぎるのが、「お行儀」だった。(本井 英)
					

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