薫風や鉋の背より鉋屑   山口照男

 一読、「鉋の背より鉋屑」のフレーズに心を奪われて、とびついてしまう読者も少なからずあるかと思うが、この句はどこまでも「薫風」が季題。「薫風」がテーマである。確かに映像的にこの句を味わおうとすると、「鉋」の「刃」の裏側、即ち「背」からしゅるしゅると飛び出して来る極々薄い木の片が印象的に眼に焼き付き、読者は作者の「技量」をそこに見ようとする。一句の中心がそこにあるなら、「薫風や」でも「万緑や」でも「五月晴」でも、作者の手柄は大して変わらないことになる。たしかに「鉋の背より鉋屑」は気持ちの良い、スピード感のある表現には違いないが、「薫風」という季題の持つ乾いた清涼感の中に置いて、はじめて活き活きと目に見えてくる点を忘れてはならない。浮世絵版画にでもありそうな、肯定的な空気感、清潔な生活感が一句を包んでいる。それもこれも「薫風」がもたらしているものである点を強調したい。(本井 英)

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