歯応へのとほりに歯形玉林檎 前北かおる (2011年10月号)

 季題は「林檎」で秋。「青林檎」といえば夏である。「玉林檎」(タマリンゴ?)という言葉は寡聞にして知らないが、「林檎」の美称としてあっていい言葉だ。近年、林檎にも色々の種類があって、昔懐かしい「紅玉」、「国光」など今はどうなっているか。ともかく掲出句の林檎は、果肉のやや堅い種類の品種であろう。

 丸のまま、「がぶり」と噛みついたときの「歯応へ」を作者は快く感じたのだ。さらに自分が囓った「林檎」の咬み痕をつくづくと見ると、思ったとおりの「歯形」がはっきりと刻まれていたというのである。

昔、歯槽膿漏予防のテレビコマーシャルに「林檎」を囓る場面があったかと記憶する。やや、ありきたりながら林檎をまるまる囓る行為そのものに、若さが感ぜられるのだ。その「若い」躍動感は、上五の「歯応え」と中七の「歯形」のアリタレーション(頭韻)にも反映していよう。

「歯応えのとほり林檎に歯形かな」としても一句にはなるが、それではこの句の持つリズム感は得られない。「玉林檎」と造語をしてまで調子(気持ち)を大切にした。「諷詠」というのはこういうことなのだ。(本井英)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください