月別アーカイブ: 2023年6月

課題句(2023年6月号)

「蠅」          原 昇平 選

蠅打てばたちまち鯉に呑まれけり	青木百舌鳥
打ちそこねたる蠅小首傾げをり

蠅追うてゆると進める水牛車		冨田いづみ
蠅の来て絵皿の縁を歩くかな		永田泰三
山頂の祠の蠅の清浄に		本井 英
磯菜屑に蠅のたかれる浜の昼		山内裕子

雑詠(2023年6月号)

布袋尊に晩白柚ある福巡り		山本正紀
「撫おかめ」の左頰撫で初詣
堂前にはちきれさうに牡丹の芽
散りてなほ白梅の萼紅の濃き

口角を上げる体操春を待つ		山内裕子
巣立ちたる子等の部屋にも福の豆	村田うさぎ
石榴割れ解剖絵図のごときかな		山本道子
西暦にいつしか慣れて初暦		前田なな

布袋尊に晩白柚ある福巡り  山本正紀

 季題は「福巡り」。虚子編『新歳時記』には「七福神詣」として収録。傍題として「七福詣」・「福神詣」を掲出する。解説には、

松の内、七福神の祠を巡詣し、其歳の福徳を祈ること である。恵比寿・大黒・福禄寿・弁天・毘沙門・寿老人、 それに布袋和尚を加へた七神で、民間の信仰は中々厚い。東京では向島・谷中・山の手など特定の区域があるのである。

とある。角川の『角川俳句大歳時記』冬の部(二〇〇六年版)では、「福詣」・「一福」という傍題が追加されていて、現今ではそれらの傍題も通行していると考えて良いであろう。「一福」などやや安易なのではと思ってもみたが、その例句として〈一福も申し受けずに詣でかな 虚子〉という例句が掲げられており、やむなく口を噤んだ。中西夕紀さんの解説には、この風習は室町時代あたりから始められて江戸時代中期に盛んになった、とあり。東京では向島が最も古く、谷中、麻布、品川などの名が挙げられている。しかしどれも「格式」といったものとは縁遠い感じで、何となく「地域」で纏まって面白がっている雰囲気が強い。元来「七福神」あるいは「宝船」といったもの自体が、さしたる権威があるようにも思われず、「七福詣」も正月に御馳走を食い過ぎたので、その腹ごなしに近隣を歩くのが目的である、などという合理解が罷り通っており、さして難しいことを言い立てるものでは無いらしい。七箇所のお寺を巡ると言っても、必ずしも「ご本尊」というのでもなく、中には「ぺらっ」とした掛け軸だったりもする。

 そんなお気楽で楽しい「七福詣」の「布袋様」のお寺には立派な「晩白柚」が生っているというのである。「晩白柚」といえば熊本の特産。もともとは東南アジアからもたらされたともいう。そんな楽しいものを育てる和尚の人柄も思われ、橋を渡ったり、墓場を抜けたりの楽しい「七福詣」も想像される。(本井 英)

主宰近詠(2023年6月号)

永久気管孔   本井 英


眩しさや虚子忌の朝を目覚めつつ

虚子忌またピカソ忌なりと知らざりき

また新たな癌との出会ひ春愁ひ

春愁の流動食よ嚥下食よ

良き患者たらんと暮らし春愁ひ

朝寝の吾を天井から見下ろせる吾

唄ふやうに語る看護婦春ふかし

遠足の今ちりぢりや由比ヶ浜

遠足のどの子も鳩サブレー提げて

遠足の班別行動片思ひ


遠足バス教頭先生人気なく

夏は来ぬのみどを抉り取りし身にも

明易の喀痰生きてある証し

明易の永久気管孔とは笑止

もどり得たりし我が庭や春ふかき

十薬の蕾つぶつぶ吾を迎へ

葉を分けて深窓の青梅となん

河骨の黄花に日向日影かな

河骨やお菓子のやうに黄をひらき

のどけしや我が終章の無言劇