虚子の新聞小説、女七人に男一人、いよいよ大詰めです。お丁の自殺の原因が、もしかすると、今まで思っていたのとはずいぶん違うかもしれません。夜は池袋句会です。英
月別アーカイブ: 2012年12月
冨田いづみさん『島』を読んで (石本美穂)
冨田いづみさん『島』を読んで 石本美穂
「思ったことをそのまま、鼻歌を歌うように、句を作る。」(あとがきより)
やりたいと思っても、だれもが簡単に出来ることではない。言葉に凝ってはいない、でも、ただ素直に作っているのとも違う「まとまり感」のある句。景がぱあっと目の前に広がる。句集紹介で祐之くんも「リズム」に触れていたけれど、いづみさんの持っている天性のリズム感が、見たもの、思ったことを自然に五七五の形にして言葉を生み出しているのだと思う。
秋風にいしやきいもとはらのむし
『島』の第一句。俳句を始めたとき、「ともかく作ってみた。」ともあとがきに書いているいづみさん。五七五そのものを楽しんでいることが伝わってきて、私も楽しくなる。
えんぴつのらくがきのありおひなさま
すべてひらがなであることも手伝って、小さな女の子と、鉛筆を握る小さな手を思い浮かべながら、いまは大人である自分が、おひなさまを手にとって懐かしんでいる、という景。おひなさまのひとつの真情が伝わってくる。
番犬のへたりと座る暑さかな
わんっ!と吠えられたかとおもったら、へっへっへっへ、と舌で息をして、そのままそこにへたっと座り込んだ犬。犬も暑いんだな。あんな毛皮着ていたら、余計に。
ほんとうに、見たままそのままが、季題とともにまとまった一句となっている。
すんなり読み手の心に入ってくるのが心地よい。
うさぎちよとななめに跳ねて春の月
猫の鈴ちろろと逃げて冴え返る
倒木の割れし腹よりひこばえす
鉄線の恋占いのやうに散る
母に会ふ母のお古の日傘さし
ご主人に、「母のお古なの」と言いながらうれしそうに日傘をさしてでかけていくいづみさん。待ち合わせでお母様がその日傘を見て、うれしそうに「あ、それ、お母さんのね。」いづみさんも、ふふっとうれしそうに「そう。お母さんの。」小津映画の一コマのようで、日傘がきちんと句の中心になっている。
フリージア音符のやうにつぼむかな
春泥をぬんぬん踏んで登山靴
月島のたひらを歩く暑さかな
しあはせは半分こする冷やっこ
初蝶の日なたに夫と待ち合はす
豊の秋ばんばの尻のまどかなる
一緒に吟行していると、私が句材を拾えずあっさり通り過ぎた場所で、いづみさんはじっと立ち止まり、句帳を開いている。集中力もある人なのである。
季節が良くなったら、府中競馬場あたりで吟行をぜひ、ご一緒したいなぁと。。。
慶大俳句定例句会。(前北かおる)
花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第51回 (平成17年11月11日 席題 八手の花・鷲)
厳然と住持の墓所や木の実降る
これはなかなかうまく行っているお寺ですね。住持のお墓がかっちりあるというのは、経営がうまくいっている。古くからの裏山も売らずにあって、木の実降るというのもいいと思います。
長城の果つる峰にぞ鷲の棲む
やはり八達嶺なんでしょうね。西へ行くと、嘉峪関がはずれなんですが、砂漠の中でとても鷲の棲めるような所ではない。長城は日本で考えるより、ずっと急峻な尾根についているということが、むこうへ行ってみるとわかる。なるほど、鷲と似合うと思いますね。
一行の降り籠められし紅葉宿
これもいいですね。別に旅館でなくても、茶店でもいい。窓越しに染まった紅葉が見えているんだけれども、ともかく降られてしまったので、寒くてしょうがない。熱いお茶でも飲みながら、雨の止むのを待つんだけれど、背中が濡れて寒い。元気のいい男の人は一杯飲もうかと言う。そんな一行のさまざまな反応が想像できて、面白かった。
天草にルルドの聖母茨の実
これ、面白い句ですね。ルルドのマリア様の像は、東京のカテドラルのもあったと思いますが、世界中にある。この句の面白いのは、天草の乱の悲劇よりずっと後に、ルルドのマリアの出現というのがある。ルルドの聖母の出現というのは、江戸の終わりから明治の頃(十九世紀半ば)。天草の悲劇はそれよりもずっと前(千六百三十七—八年)。天草に残っている信者さんが、ルルドの話をその後聞いて、そのマリア様をお祀りしているというのが、すごく面白くて、この句、複雑な句で、いいと思いました。茨の実も適っていると思いました。
嘘悲しく病棟出れば柿落葉
これも、しんみりして、いい句でしたね。花丸を上げたいぐらいなのは、「嘘悲しく」の字余りが本当にいいです。これが「嘘悲し」だと、全然悲しくないです。勿論、普通に鑑賞すれば、大変な重病で、それを患者に言えない。嘘をついて、出てきた。というのが、まっとうな鑑賞ですが、そうでなくても、患者さんがわかっているのに、嘘をついて、強がっているなんていうのも、一つの鑑賞で、いろんな方向から鑑賞できる、懐の深い句だと思いました。「病棟出れば」で、「病院出れば」ではない。まだ病院の敷地内。病院の敷地内の柿落葉なんです。そうなると、都会ではない、郊外の病院かもしれないということが想像できて、そうすると見舞にすこし時間をかけて来たのかもしれない。そうだと重病かもしれない。とか、いろんなことが感ぜられて、この句はなかなか上等な句でした。
茶の花や指図の僧の声太く
うまく行っているお寺ですね。これもね。大きなご法事があるんで、張り切って指示をしている。その法事の前の興奮ぶりが出ている。それを鎮めるように、茶の花がひっそりと咲いている。
花八手ケンケンパーで日が暮れて
なるほど、子供の頃の遊び、石蹴りをしていてる。さっきまで、花八手の白が見えていたのが、ちょっと薄暗んでくる。あ、日暮れだから帰ろうという、久保田万太郎にでも、ありそうな世界だなという感じがいたしました。



