日別アーカイブ: 2012年5月1日

俳誌「古志」青年部年間作品集2012_(杉原)

俳誌「古志」青年部年間作品集2012

 

暫く、「汐まねき」のコーナーにおいて、他誌や他の作家の方の作品をご紹介するのを怠けていた。

今回は、他の雑誌の「青年部」の作品集をご紹介する。

「古志」は長谷川櫂氏が1993年に創刊。その後、2011年に大谷弘至現主宰(1980年生)が30歳で主宰を継承。

主宰の年齢から察しがつくとおり、現在はこの「青年部」メンバー/出身者が運営の中心を担われている。

ここに登場する21名の中にも編集やHP担当など数多くの仕事を担当している模様。

40歳以下の会員数21名とは、当「夏潮」と同じ程度の規模であろうか。

「古志」青年部2012

御一人ずつ作品を、生年月日と共に紹介させていただく。

●イーブン美奈子(1976年生)

早回ししてゐるごとく蟻の道

●石塚直子(1987年生)

夏痩の膝を抱へて眠りをり

●泉経武(1965年生)

鱗雲テニスボールが壁を越え

●泉裕隆(2001年生)

鮭上る川真黒になりにけり

●市川きつね(1987年生)

触れてみて桜と気づく新樹かな

冷ややかに山をのみこむ山の影

●大塚哲也(1981年生)

大川を諸国の落ち葉流れゆく

●岡崎陽市(1972年生)

七夕の河のむかうに灯がともり

●川又裕一(1971年生)

陶然と唐銅あをむ春の雨

●関根千方(1970年生)

這ひ這ひに皆ついてゆく恵方かな

●高角美津子(1973年生)

青梅や窓開けはなち朝稽古

●高平玲子(1969年生)

風鈴をも一度鳴らし仕舞ひけり

●竹下米花(1974年生)

卒業の子に珈琲を淹れてやり

●竹中彩(1976年生)

終はりなきメールを交はす夜長かな

●丹野麻衣子(1974年生)

花あまた落として椿軽からん

鮎生簀滝の流れに打たせあり

 ●辻奈央子(1977年生)

宵山や亀もそはそはしてをりぬ

●藤原智子(1976年生)

秋深し夫が絵本を読み聞かす

●前田茉莉子(1984年生)

ふらここの鎖ピンクに塗られをる

●森篤史(1990年生)

ペン胼胝の消えぬ指先大晦日

●山内あかり(1968年生)

ふるさとに雪降り続く雑煮かな

●山本純人(1977年生)

お隣と文句言ひ合ふ猫じやらし

●渡辺竜樹(1976年生)

霏々と雪リフトくるりと帰りけり

 

「青年部句会」は長谷川前主宰により、かなり厳しく指導がなされていたようで、句のリズムに緊張感が見られる。

また、各人を通してある一定のリズムで句が並んでおり、前主宰の指導が行き通っている感じを受けた。

 

ただし、「無難に上手い」俳句から、まだまだ「個人の詩」まで昇華し切れていない印象を受けた。

「無難に上手い」とは、言いたいことが思わせぶりで分りやすい。具象性が足りない句が多い印象を受けた。所謂「雰囲気美人」俳句が多かった。

しかしながら、若い主宰を囲んで同世代のメンバーが切磋琢磨している中で、どのような個性が生まれるか楽しみにしたい。

当作品集は、「古志」HPから、購入することも可能である(1冊500円)。

http://www.koshisha.com/?page_id=6

 是非、当「第零句集」シリーズの作品と見比べていただければと思う。

花鳥諷詠ドリル ‐主宰の句評‐ 第25回 (平成17年5月13日 席題 蛞蝓・橡の花)

街路灯にかぶさるように栃の花
元の句、「街路灯かぶさるように」。これも、「街路灯に」と字余りにした方がいいんでしょうね。街路灯がかぶさっているのか、栃の花がかぶさっているのか、わからない。字余りにして、「街路灯にかぶさるように」とすると、栃の枝がずっと伸びて来て、かぶさるようになった枝、その枝に花が咲いているんだというのが、はっきりわかりますね。
満開の藤棚の下六地蔵
いいですね。六地蔵。六道輪廻。六つの世界があるわけです。その道しるべになっているのが、お地蔵様です。どこにあったっていいようなものですが、それがたまたま藤棚の下にあった。と言われてみると、藤色の紫の、紫雲といいますが、仏様が顕われたり、偉い人が亡くなったりすると紫の雲が立ったという話はいくらも高僧伝には出てきます。そんなことまでも連想させる紫色のよろしさというものが、こうやって仏様の上にあるんだ。ということで、六地蔵のあり場所としては、なかなかすばらしいなと思いました。
夏に入る自転車の娘の髪軽く
元の句、「自転車こぐ娘の髪軽し」。これは「こぐ」は要らないでしょうね。それは散文です。「自転車の娘」で、もうこいでいます。「髪軽し」では「夏に入る」が薄くなってしまう。「(前略)髪軽く」でもう一回、「夏に入る」に戻る。そうすると「夏」がしっかりと見えてくる。「髪軽し」だと、髪がしゅーっというところに集中して終わってしまうので、季題が何だっけということになってしまう。
二階より眺め牡丹の花白し
これもいい句ですね。牡丹というのは、近くから見ると、仔細を見たくなる。蕊はどうだ。花弁はどうだとね。ところが遠くから見ると、仔細は見えません。ですから花の形状というよりは、色で見えてくるんですね。元の句、「二階より眺む」では、ちょっと重いね。「眺む牡丹」て、牡丹にずーっと気持ちが集中できない。「二階より眺め」って、軽く切って、「牡丹の花白し」とお詠みになった方が、この句の牡丹の白さが出てくると思いますね。